テーマ:江戸時代

悔しき事の多くもあるかな

貧乏人にはどん底という底辺がある。 それに引き替え、富裕層は青天井。 健康食品、スポーツジムetc、健康維持に余念がない。 お金を出してランニングマシンの上を走るより、タダで自宅周辺をランニングすれば安上がりだろうにと思うのは貧乏人の発想で、しつこく書くが、ダンベルの上下と、2リットルのペットボトル上下とでは、腕の筋肉の付…
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すすきのひかりさえぎるものなし

人肌ほどのぬくもりをもたらしてくれた陽が沈む。 よい小春日だった。 残照は刻々とグラデーションを変化させ、私を立ち止まらせる。  すすきのひかりさえぎるものなし 山頭火の句が浮かび、まことにその通りだと眺め入る。 夕陽の前景は、川辺のススキこそ相応しい。 蕭条とした厳しさと寂寥を含む空気感は、逝く万物…
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江戸城天守閣再建之儀此歓迎仕候

江戸城天守閣を復元する計画があるようだ。 折しも今年は家康の四百回忌。 東京のランドマークとして、これほど相応しいことはない。 どことは言わないが、近代的、近未来的なデザインと謳っても、数十年も経てば必ず陳腐化するのは周知の通り。 だからこそ、日本の城郭の持つ意匠の普遍性を蘇らせる名案と思うのだ。 江戸城天守閣再建…
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佃煮の日

旧暦1646年6月29日は、佃煮発祥の地、東京佃島の住吉神社が創建された日で、佃煮の日である。 現在のグリゴリオ歴に直せば8月10日ということになる。 同時に今年は三年に一度廻って来る住吉様の例大祭、本祭りの年でもあると同時に、家康公四百年祭の節目の年。 徳川様あってこその島民だった。 保存技術が限られていた時代の佃…
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東京の田舎は東京

江戸東京たてもの園の西ゾーンの一番西側に、茅葺の民家が隣接して三棟ある。 あまり時間もないので、それらを慌しく回った。 「江戸東京たてもの園」には、さまざまな建物があるが、この田舎テイスト満点のエリアがお気に入りだ。 田舎といっても、江戸時代中期から後期にかけての民家を、三鷹や世田谷、八王子から移築したもの。 …
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いま 写楽がブームらしい

大震災の影響か、会期が延長された東博の「写楽 特別展」が明日12日に終わるが、以前から謎とされた写楽の正体が判ったということも、ブームを助長しているのだろう。 この「判った」とは、「ほぼそうではないか」と推理され、ある程度の結論らしき人物が浮かび上がったということ。 推理は推測の域を出ないにせよ、「なるほど、もっともな部分も…
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君はいま駒形あたりほととぎす

この季節、それも駒形となれば、自然と口をつくのがこの句。 何とも爽やかな印象を受ける名句だ。 作者は新吉原の高尾太夫。 代々継がれた花魁の大名跡である。 客に惚れてはいけない掟の遊女ながら、その心情は可愛らしくいじらしい。 高尾太夫で思い出すのは、落語の「紺屋高尾」と「反魂香」 どちらも真っすぐで慎み深く、教養もあり…
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六義園ライトアップ

東京に長く暮らしていても、まだ知らない場所は多いのです。 特に分からないのが、JR駒込駅周辺です。 どうしても駒込を知りたい、というほどでもないけれど、絶好の機会が訪れました。 六義園で、ライトアップをしていると知りました。 知ったからにはこの機会を逃したくない。 というわけで、日が暮れてから六義園に行ったのでした。 …
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集団で無賃乗車をした

お盆の入りでした。 ご先祖様を迎えに、杉並の西本願寺廟所へ行きます。 清七とあるのは、家康公が江戸に幕府を定めた折、大阪の摂津から呼び寄せた漁師三十三人の中の一人で、この清七っつぁんが、我がご先祖様なのです。 佃島を与えられ、白魚などを獲って、将軍家へ献上していたようです。 だから、私のルーツは大阪の漁師なのです。 も…
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投込寺 浄閑寺

都内城東地区での用事を終え、少し時間の余裕があったので、十年振りに三ノ輪の浄閑寺を訪ねた。 説明するまでもない、投込寺である。 貧しさ故の人身売買。 年季明けで放免されるなど、まず望めなかった少女たちの境遇に思いを馳せれば、ただただ胸がつまる。 破られることを前提としての約束が、堂…
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殿中でござる

今日4月21日は、旧暦に直して元禄14年までさかのぼると3月14日。 これだけで判る人も多いだろう。 「この間の遺恨、覚えたか」 浅野長矩の怒声を聞いて最初に事件に気付いたのが大奥留守居番役梶川与惣兵衛。 見れば長矩が吉良上野介の頭部目がけて小刀を振り下ろしていた。 その刃は吉良の烏帽子に当たって深い傷には…
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本所松坂町の真実

今日は赤穂浪士討ち入りの日。 人口に膾炙されている忠臣蔵の内容に若干の反発や違和感を覚えるのは、持って生まれた私のヘソ曲がりの性。 「忠臣蔵」と書くから頭が混乱する。 なぜ混乱するか、少しだけその理由を書いてみたい。 この場所に立つたびに違和感を覚えるのは、赤穂浪士を「義士」や「忠臣」と持ち上げていて、歌舞伎の「…
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ターヘル・アナトミア

江戸時代の大火や災害で亡くなった多くの人を弔うために建立されたのが両国回向院。 その分院が荒川区南千住にあります。 こちらは小塚原の処刑場に建てられ、ご存知、杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが処刑された罪人の腑分けを見て「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り掛かり、「解体新書」を著わすこととなった特別な場所。 日本の医学の原点とな…
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彰義隊が眠る寺

先日、千住大橋を訪ねた折、何気なく途中のお寺に寄り道をした。 円通寺。 足を踏み入れて驚いた。 このお寺に彰義隊の墓があるのだ。 知らなかった。 彰義隊といえば、上野の西郷さんの銅像の裏に、ひっそりと合同の墓所があり、それこそが悲劇の彰義隊の墓だと信じていた。 寺の境内にはいくつもの大きな碑が立ち並び、そのひとつひとつに…
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故郷忘れ難く 其の参

徳川家康が江戸に幕府を定めると、大阪は摂津の漁師三十三人が佃島に移住を命じられた。 彼らは大川(隅田川)や、その河口付近で主に白魚などを獲って将軍家へ献上し、また、築地に移転する以前の日本橋の魚河岸での商いなどで生計を立てていたという。 保存食としての佃煮も彼らの知恵と工夫から誕生した。 その三十三人の中に、「清七」と…
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江戸六地蔵

五番、深川霊厳寺の地蔵。 江戸幕府が市中を整備する中で、日本橋へ通じる六街道の出入口に建立したものです。 水戸街道の往来を見守るお地蔵さまのお顔は、平成の今も穏やかです。。 境内には八代将軍吉宗の孫で、天明の打ち壊し後、寛政の改革を断行した老中、松平定信の墓所があります。
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