カエルのツラに…


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テレビ桟敷で、11時2分に合わせて黙祷する。
あらん限りの想念を込めて平和を願った。

干乾びた感情の亀裂に心で泣き、国民精神総動員運動などという馬鹿げた時代の不幸の犠牲を想ったら、また心で泣けた一分間が過ぎた。

そこには泣くことによって柔らかくほどけた感情などはなく、先行きの不安の実体が残る。

それは、被爆者がどれほどの叫び声を上げても届かぬ社会や世界への不信感や、現実や真実の醜さへの不安であって、いずれジェノサイドが繰り返されるのではないかとの怯えこそが不安の実体なのだと知る。

とてつもなく大きな夢が、一冊の本のたった一行のフレーズから始まることがあるように、悪夢だって、愚かな指導者のたったひと言や判断から始まってしまう危うさを秘めているのだ。

核廃絶を即刻掲げ、戦争反対や平和の尊さを訴えない世界中の指導者は、指導者たる資格の欠片すらない。




田上長崎市長の平和宣言を要約すると、次の骨子で語られていることがわかる。

核兵器禁止条約の国連での採択と、その原動力となった非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受けた昨年の動きについて、「地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証」と強調し、唯一の被爆国でありながら批准しない日本政府に対し、「世界を非核化に導く道義的責任」を果たすよう求めていた。

一般的に正論は鼻に付くものだが、この宣言には平和を希求する日本国民や世界中の人の共感を呼び起こし、鼻に付くどころか、心にピタリと収まる安堵感がある。

「#長崎市長」で覗いてみると、予想通り、残念な子供たちの稚拙な文章があった。

「非核化へ導くのは被爆国の責任」の市長の発言を捉えて、『被害者に責任があるのか?』との的外れなものや、『長崎市長の「非核化しろ」という言葉は日本に言うべきことではなく北朝鮮や支那に言うべき言葉なんだけど 何故か言わないんだよね』といった、ネトウヨの見本のようなものまであった。(笑)

市長は「唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求める」と言っているのだが、恣意的で幼稚な部分表現は、子供ゆえの特徴でもある。

中国を支那といい、韓国を南朝鮮と表現する子供たちをこうして目にすると、現在の日本の思想教育の成果を見せつけられたようで、彼らの中からこれからのオピニオンリーダーが生まれるのかと想像したら、頭が薄らぼんやりして来た。

個人を批判してはいけないが、公人はどんどん批判されるべきで、吠えたい人は吠えるがよろし。
但し主義主張の根拠となる思想はともかく、内容が正鵠を射るものでなければ単なる阿呆でしかない。

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この人の画像を私のブログに使うのは愉快ではないが、ここにもアメリカの意に従って、条約に不参加を明言し、署名も批准もしない人物がいる。

市長や被爆者代表の声を無視するのは広島での挨拶と同じで、当然のように核兵器禁止条約には直接触れず、『近年、核軍縮の進め方について各国の考え方の違いが顕在化している』と言及するにとどめ、核保有国と非保有国の橋渡し役を務めるとの持論(たぶん不本意なのだろう)を繰り返した。

「橋渡し」とは被爆国の首相として、あまりにも他人事に過ぎやしないか。
この人、だんだんカエルに見えて来た…。

これ以上、いくら書いても屋上屋を架すばかりになるのでやめる。
先日、某私鉄駅頭で核兵器廃絶の署名をしたが、私にできることといえば、もどかしいが署名と拙ブログで吠えることくらいである。

それにしてもいつも思うことがある。
アメリカより先に日本が原爆を完成させていたら、日本は原爆を使っていただろうか…。
答えは明らかで、恐ろしいことだ。


実は、ニンジンを刻んでいて、人差し指をザックリやってしまい、満足にキーボードが打てない状態。
すっごく不便っ!

いま、すぐ近くでヒグラシが鳴いている。
ちょっと良い風情であります。


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