生前整理で見つけた文庫本


遅々として進まぬ実家の生前整理。
二階の奥の院(勝手にそう呼んでいる開かずの納戸)の茶箱を渾身の力で引きずり出すと、古書などが大量に出現する。

その中で気になる一冊が目に止まった。
せつ子伯母が購入した徳富蘆花の岩波文庫。
「削除済」のシールに「時代」を感じる。

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昭和十五年に十二刷、その年に購入したことがわかる。
せつ子伯母は昭和十九年に十九歳で亡くなっているから、当時は十五歳だった。

一緒に通知表もあり、甲乙丙丁の時代に、すべての教科に甲がついていた。
思春期の多感な少女だったこともわかる。

腰を据えて読み進むと、蘆花の文章が琴線に触れたのだろう、ところどころに傍線が引かれている。

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   春秋も涼む夕も凩もあはれは風に限るなりけり

蘆花のいう古人が、調べてもわからない。
琴線に触れたのは風の行方だったのだろうと想像するのみ。

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昭和十八年に仏壇を新しくした。
それを見て、「私が一番最初に入るのね」と言ったことは、現在も我が家で語り継がれている話で、せつ子伯母は、その通りになった。

たらればは無意味と誰もが言う。
しかし戦争がなければ、必ず助かった命である。

蘆花の「自然と人生」を読み終えてみれば、正直、それほど印象に残る内容の本ではなかった。
それでも「断崖」に引かれた傍線部分に、伯母の線の細さや煩悶が、時代を超越してこちらに伝わる。

すべての教科に甲を貰いながら、十九歳で早逝した少女の現在に出会いたかった。

終戦の前年、昭和十九年とはいったいどんな年で、庶民はどのように暮らしていたのかがわかる記録がある。
六月にはそれまで勧奨だった女子挺身隊の結成と出動が強制措置とされ、年齢も十二歳から四十歳までに枠が広げられている。(参照

二歳年下の母も優秀な女性で、十代から短歌に親しみ、やがて「心の花」の同人になり、後に市川房枝女史に師事した、当時としてはやや異色な人生を歩んだ女性だった。

その母も平成五年(1993)に六十六歳で逝き 、伯母や母のDNAのほとんどを受け継ぎ損なった現在の残念な私がいる。

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私も蘆花の書に親しむことはあっても、蘆花の友人、秋水の著書は一冊しか持っていない。

改めて読み直したが、ため息が出る。
 
 思うに、幼児が井戸に落ちようとするのを見たなら、誰でも走ってこれを救うのに躊躇しないだろうことは中国の孟子が言ったとおりで我々も同じである。もし愛国の心をして、本当にこの幼児を救うのと同質のシムパシー、惻隠の念、慈善の心と同様にならせることができるなら、愛国心は全く美しいもので純粋で一点の私心もないのである。
 他国を愛さないでただ自国を愛する者は、他人を愛さずして、ただ自己の一身を愛する者である。私は、いわゆる愛国心が純粋な同情・惻隠の心でないことを悲しむ。
 なんとなれば愛国心が愛するところは、自分の国土に限られているからである。自己の国民に限られているからである。浮ついた名誉を愛するのである。利益の独占を愛するのである。公正と言えるであろうか。私でない、と言えるだろうか。


帰納法的手法で語る、誠に正論ではないか。
愛国心の文字さえなければ、そのままボヘミアンである。
アナーキストの愛国心が読者を戸惑わせるが、その真意は伝わる。

しかし、「兵士を送る」の文章にシニカルな部分が現れる。

 行け従軍の兵士
 吾人今や諸君の行を止むるに由なし
 諸君今や人を殺さんが為に行く
 否ざれば即ち人に殺されんが為に行く
 吾人は知る是れ実に諸君の希ふ所にあらざることを


こちらは演繹だ。
アイロニカルな手法も秋水の特徴であり、ぬらりひょんのように掴みどころがない。
弱い者に犠牲を強いる思想や、戦争の実相が見える。

幸徳秋水、明治四十四年一月二四日午前八時六分、思想犯として大日本帝国憲法により死刑執行。

「せつ子は可哀そうなことをした」
祖母が九六歳で往生するまで、繰り返し聞かされた言葉である。

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