おひとりさま


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人生の終末期に限りなく近づいている人が周りに数人いて、このままでは共倒れになるのではと、最近は少々鬱傾向にある。

かと言って無神経ではいられないから、電波の届く範囲で独りになり、自分だけの時間を確保して鬱状態を改善しようと考えた。
無神経とは、阿呆と同義語である。

本音を自嘲すれば、時には逃げてしまいたいことがあるのだ。
それで、何処へ行って何をしようかと思ったのだが、行きやすい伊豆へ毎度のように出掛けた。

画像道の駅で昼食時間になった。
食事は空腹時にしか摂らないから、たまたま時間が合致しただけのことで、簡単にメニューを見て釜揚げしらす丼に決めた。

食にこだわりはないが、脂っこいものは避けるようになった。
体がそう言っているのだ。

頭の中には何人かの人格を持った人物が存在していて、最近は脳内会議の決定に従うことにしている。

あの時の釜揚げしらす丼(参照、リベンジ沼津しらす丼)と比べようとしたが、脳内の誰一人として味を覚えていなかった。

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私独りが勝手に極楽(参照、極楽に一番近い場所)と決めている場所に行くと、遠足の小学生たちが、ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)の下でお弁当を広げていた。

他の桜はほとんど終っている。
ここの八重はそろそろ満開といったところか。

以前、ソメイは飽きたと書いたことがあるが、その時の思いは変わらず、逆に、ごてごてした印象で敬遠していた八重に魅かれ続けている。

大勢で食べるお弁当は美味しいだろう。
しかし独りで食べたお昼だって同じで美味しかった。

私は独りの食事、独りのドライブ、独りの空間や時間を愛する。

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  こちらは大人たちの集団。
  日本人の模範的なお花見風景。


以下2枚はサトザクラ。
まだ5分か6分といったところ。

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  少し離れた場所に高齢者とおぼしき夫婦。
  仲良さそうにおにぎりを食べていた。

  「仲良さそう」は私の主観。
  そんな印象を受けた。


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お弁当を食べ終わった子供たちが走り回っている。

なぜ走るのか、なぜ疲れないのか、なぜ無駄なことを敢えてするのか。

歳を取るということは、子供たちへの理解力が欠落するということなのか。

この子らと同じ頃は、私だってこうして走り回っていた。

若さを羨んでいるわけではないが、楽しそうに遊ぶ光景を目にすると、少し嬉しくなる。

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あの時代に戻りたいとは思わないが、生きる後悔を増やさぬよう、生きることに前向きな自信が持てるよう、さまざまなことを自分なりに努力してみようと決めた。

病気や寿命で人間社会から永久追放されそうな人がいて、なのに、何の力にもなれなくて、その人たちの周囲に存在しているだけの日常は、案外しんどいものだ。

そばにいてくれるだけでいい、なんて台詞は歌だけのきれいごとの世界であって、腹の足しにもならない。

だから食が細くなったのかは不明だが、生きている手応えや実感はあるので、死ぬまでは生きよう。

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気持ちよさそうなので、芝生に仰向けになってみた。
ここを訪れた際のお約束のようなものだ。

芝生を歩く感触も楽しいが、大地に直接寝転ぶと、もっと生々しく自然との一体感が生まれる。

今日を生きることは明日を生きることにはつながらないかも知れないけれど、蕭条として受容するのが人生のすべてなのだと思う。

都会の孤独は息苦しいが、ここで独りでいる孤独は鬱状態を解放してくれる。

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空は曇天で、暑くもなく寒くもなく、丁度いい塩梅。

今回もまた、5分ほどまどろんだ…。


以下2枚は寝転んだまま撮った左右の風景。

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今年もまた桜を堪能した。
このパーソナルスペースは心地よい。
脳内の多重人格が一人になった。


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