夢やぶれて


てっきり更迭させるかと思っていた任命者が、慰留したと聞いて驚いたりと、書くことはあるのだが、今日は七月六日の七夕前夜。
芭蕉が直江津で、

文月や六日も常の夜には似ず

と胸躍らせた日でもある。
陰暦だから、今の季節を当てはめれば八月の後半になる違和感はあるにせよ、句会で披露したこの句には、元禄当時の七夕は心浮き立つ五節句のひとつとして、誰もが待ち焦がれ,、楽しみにしていた行事の証明でもある。
それは子供たちが短冊に願いを書き込むだけの習慣ではなく、老若男女が和歌や詩などを記し、文字や勉学、算盤や裁縫、機織りなどの上達を願う風習にもなっていた。
だからこそ、芭蕉のテンションも上っていたのだろう。
七夕前日限定の秋の季語としては、他に「硯洗う」もある。
(これは以前にも書いたので省略)

七夕の節句は、元は中国から伝来した牽牛・織姫伝説が、日本の棚機津女(たなはたつめ)信仰に習合し、時代は変われど今に至る。
同日、この句の次には、誰もが知っている、

荒海や佐渡によこたふ天河

も載っている。
こちらは「天河」が季語であり、上記の伝説から、「天の川」は七夕を指す場合も多い。
六日の次は七日、当たり前のことだ。
ところがここで問題が生じる。
曽良日記によれば、七日は終日、雨だったことが知れる。
六日と七日の、曽良の随行記録を載せる。

六日 雨晴。鉢崎ヲ昼時、黒井ヨリスグニ浜ヲ通テ、今町ヘ渡。聴信寺ヘ弥三状届。忌中由ニテ強而不止、出。石井善次良聞人走。不帰。及再三、折節雨降出故、幸帰。宿、古川市左衛門方ヲ云付。夜至テ、各来。発句有。

七日 雨不止故、見合中、聴信寺ヘ被招。再三辞。強招ニク及暮。昼、少之内、雨止。其夜、佐藤元仙ヘ招俳有テ、宿。夜中、風雨甚。


七日は雨が止まないので(出発を)見合わせたが、昼頃には少しの間だけ雨が止んだと記されている。
だから前日に続き、聴信寺へ招かれたことを再三断ったものの、断り切れずに出掛け、また句会を開いている。
後は夜になって風雨がはなはだしいとあるが、前日の六日には、後世にまで残る名句が生まれていた。

ということは、「荒海や」は七夕当日ではなく、すでに前日、「文月や」と共に披露したことになる。
多くの研究者は、出雲崎で「天の川」と「佐渡」を句に織り込む構想を得て、それが直江津まで来たところで結実したと推理する。
おそらくその通りなのだろう。
「荒海や」は七夕当日ではなく、六日以前に完成していたことは間違いない。
ただ、そうすると日にちが逆転するので、このような順序になったと考えて差し支えない。
(曽良の覚え書きによると、日本海は荒れておらず、割と穏やかだったようだ)
参考までに、芭蕉の文章を「おくのほそ道」から抜き出してみる。

酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望。搖々のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百卅里と聞。鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ふりの関に到る。此間九日、暑熱の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。

文月や六日も常の夜には似ず

荒海や佐渡によこたふ天河


「此間九日、暑熱の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず」としながらも、両句を生んだ芭蕉の力量に感嘆するばかりだ。


さて、昨日から今日にかけて、日本中が不愉快な発言に憤っていることを、各メディアを始め、多くのブロガーが同じ論調で綴っているのを知った。
報道を見聞きして思うのは、後任に副大臣を充て、その任命者が、「被災地選出の人だから、より一層の力を発揮してくれるでしょう」とか何とか言ったことだ。
ならば、はじめからその人物を復興相に任命すれば良かったのでは、とツッコミを入れたくなるのは私だけではあるまい。
「更迭」ではなく「辞任」であることのユルさを、マスコミやブロガーの誰一人として触れていないことにも違和感を覚えるので、ここに書き添えて置く。
もう書くのもバカバカしいし、任命責任があると言っているのだから、首相は責任を取って早くお辞めなさい、と願うばかり。


ここまでダラダラと芭蕉や行政について書いたが、それらは今回の前フリでしかない。
今日六日に書いて置きたいことは別のところにある。
本当に書きたいわけではないが、この歳になると、もう時効だから問題はないだろう、というくらいの安易な内容。
ここからが本題。

年代の記憶は定かではないが、話は22年か23年前にさかのぼる。
まだ私がサラリーマンだった頃の話だ。
10年間、交際を続けた彼女と別れた。
それが今日、七月六日。
なぜ覚えているかというと、いよいよ彼女と別れなければならないのだという極限の状況とは別に、頭の中では何の脈絡もなく、芭蕉の「文月や」の句は今日のことだったなと、思い出していたからだ。
その二ヶ月近く後に書きなぐったメモが残っている。

  休日の雨
  静かな朝の訪れ
  生焼けのトーストをオレンジペコで流し込み
  気がつけば二百十日の秋は長けて
  リムスキー・コルサコフ 「シェエラザード」

  彼女との別れは七月六日
  「じゃあ」と背を向けた私鉄の改札口
  「ごめん」とつぶやいたぼくの声が
  人混みにのまれた彼女には届かない

  霧の富士山麓を飛ばす
  きしむタイヤのコーナリング
  噛みしめる思い出の数々
  ブラームス 「弦楽六重奏一番第二楽章」

  今は敢えて未練と呼ぶ、まとわりつくそれを
  ワイパーが拭うストロークの規則性
  喜怒哀楽から離れ
  ぼくは今日から無口な男となる

  まるで十代の少年のように
  さまざまな不信を引きずっている愚かさ
  断ち切りたいものが多すぎる
  ドヴォルザーク 「チェロ協奏曲ロ短調」

  明日は臨時の社内移動
  人が栄転と妬む本社勤務の日


結婚は、お互いが愛し合っているだけで叶うものではない。
それを承知で交際を重ね、でも家とか家族とか、さまざまな事情による障害があって、どうしても乗り越えることが出来なかった。
駆け落ちもした。
心中まがいの愚行もした。
だが駆け落ちは、前もってこっそり送られて来た彼女の私物が、彼女の自宅近くの場所で受け付けた宅配便だったものだから、その宛名書きから発覚し、数日で私の住所が知れてしまった。
心中は、私の首を彼女が締めた。
ただ、されるがままに抵抗はしなかった。
それでも気を失いかけたところで、もし彼女一人だけが生き残れば、彼女が殺人犯になってしまうと思い直し、抵抗しようとした寸前で、彼女の手が首から離れた。
仮に、たとえ彼女も死んで心中が成立したとしても、死後に同じ墓に入れないと分かっていたからだ。

まだ携帯のない時代だったから、それで音信が途絶えた。
共に相手が嫌いになったわけではなく、あきらめられない心を無理やり閉ざし、それですべてが終わった。
その半年ほど前に、「もう限界だろう」と、私は歌を作って彼女に聴かせた。
「お願いだから、悲しい歌は作らないで…」
彼女の涙を見た。

 


 夢やぶれて


            夢 や ぶ れ て

  
      長い夢からいま醒めて
      ぼくの心は夏を待つ
      苦しいことの数々くぐり抜け
      それは戻らぬ片思い

      きみの言葉のいくつかが
      ぼくをここまで歩かせた
      まるで荒れた海で見る陸の光
      信じて進んだあの頃

         夢に見たきみの花嫁衣装
         ぼくとふたりのキャンドルサービス
         十年は長すぎたよね
         ありがとう 素敵な夢を見られた

      ひとりの部屋で泣き疲れたら
      古い写真を捨てに行こう
      国道を南に車を飛ばし
      日の暮れないうちに海へ

         いつかまた逢える時が来たなら
         ぼくを忘れないで声をかけて
         十年が過ぎたあとでも
         それだけでぼくは生きて行ける

         くじけたぼくを見られたくはない
         だからぼくの部屋を訪ねないで
         気がつけば夢やぶれて
         風の中に立ちつくしている



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今日、久し振りにあの時の国道を南に走りながら、この恋愛譚を書き遺そうと思った。
単なる備忘録ではない。
それは最後に説明する。
一方で、同じ時期に、彼女の走り書きも見た。

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こうして月日が流れ、それでも固定電話の番号は知っていたから、その後も彼女から電話が来た。
やがて携帯が日常品になり、互いの番号やアドレスも知るようになる。
だが、こちらからは絶対に掛けなかった。
掛けるにしてもパターンが決まっていて、彼女がこちらの固定電話へワン切りをする。
「今なら大丈夫」
というサインだった。
今でも思い出すのは、9・11の日だ。

NHKを見ていると、突然画面が切り替わり、高層階から煙りを噴き出すツインタワーが現れた。
しばし見入っていると、まるでSF映画のように、航空機が別のビルに吸い込まれるように激突する映像が流れた。
その瞬間、ワン切りがあった。
携帯から彼女に掛けた。
「いま何してるの?」
「ニューヨークで大変なことが起こってるよ」
「え?」
「ひょっとすると、第三次世界大戦が始まるかも知れない」
彼女は関心がなさそうだった。
私と話したい時は、ベッドにもぐり込み、寝る前のひと時の会話を楽しみたいだけなのだ。

その後も通話やメールなどで繋がっていたが、次第に頻度が落ち、私はワン切りがあっても、折り返しの連絡をしなくなった。
ずっと恋人であるならばともかく、もうそんな関係ではない。
時の流れがどのように作用するのかは分からないものの、毎日思い出していた彼女との日々が、週に一度になり、月に一度になりで、そのうちに思い出すこともほとんど無くなった。
強烈に思い出されるのは、私鉄駅の改札口で別れる時、「さよなら」ではなく、「じゃあ」と言われたこと。
これが「さよなら」だったら、これほどまでに思い出すことは無かっただろう。
七月六日の別れだった。

以前、銀座のミキモトで、彼女に指輪をプレゼントしたことがあった。
安月給だったから、予算はわずか五万円だったが、彼女はそのリングに私の名前を彫り、こう言った。
「私がお婆ちゃんになって死ぬ時は、このリングを左の薬指にはめるの。みんな驚くだろうな」
最後まで私を愛して死んで行く、と宣言したわけだ。
今でも、忘れた頃にワン切りがある。

彼女とはさまざまな場所を旅行した。
それらの写真が数百枚、残っている。
実は、あの七月六日、彼女はそれらの写真を受け取りに来たのだ。
しかし、彼女の未練を断ち切るために、敢えて渡さなかった。
それがお互いのためなのだと、心を鬼にした。

今は私も彼女も歳を重ね、この先どうなるか分からない。
数年前のこと、私が持っている彼女との写真や手紙など、それらすべてを小さな箱に梱包し、封印した。
そして今は亡き親友に頼んだ。
「もしオレが死んだら、彼女に連絡してくれないか」
親友は快く引き受けてくれた。
彼女の名前、住所、電話番号を親友の携帯に登録して貰った。
これで手はずは整った、私がいつ死んでも大丈夫と安心した。

ところが親友が先に逝き、彼の携帯には、彼女のデータだけが残った。
「もし、かみさんに見られたら、浮気してるんじゃないかと疑われるから、オレの友人だと追加で打ち込んでくれる?」
と頼んだ。
「変更しとく」
と答えは貰ったものの、私はそれを確認していない。
彼が病気の末期になって、まさか消去してくれとは言い出せなかった。
彼の死後、家庭内でトラブルになっていなければいいのだが…。

6月27日の記事にも書いたが、今日のようにオーバーフローした思い出は、そのまま流し去ることに決めている。
思い出がすべて消えるとは限らないが、心に新たな何かを注げば、その分、必ず希釈されるものはある。
それは汚染物質ではないから、心の断捨離によって安心や安寧も保証される。


関心の拠り所も、日々刻々と変わる。
「一兵卒として、被災者に寄り添う」
と反省の色なく、被災者にとって迷惑この上ない発言を繰り返す政治家がいる。
困ったことだ。

もう恋愛妄想などとは縁が切れているので、これからは3・11だけを見つめ続けて行く。
これが私の一番の関心事。
おそらく半年でも一年でも無理だろう。
私的希望だが、体力、気力、財力の続く限りは支援を継続させたい。
もちろん私一人で出来ることではなく、各事業所の、多くの人たちの協力がなければ成り立たない。
それはハンザ同盟的なイメージだ。
未熟だった頃の夢は破れたが、今は復興という新たな夢と目標がある。
それは、我が人生に於いて、とても大切なこと。


日中は晴れていたものの、この時間になって空は曇りベース。
明日の予報は今日よりも悪いらしい。
七夕も天の川も、陰暦に期待するしかないようだ。

ということで、しばらく東京を離れて留守します。
ブログの管理は、例によって相棒に頼みますが、何しろズボラな性格なので、それがちょっと心配です。
エアコンのブレーカーは、キッチリと封印して出掛けましょう。
長々とすみませんでした。



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この記事へのコメント

豆太郎
2011年07月08日 09:28
ブラームスの『弦楽六重奏曲第一番第二楽章』は1950年代後半に、ジャンヌ・モロー主演の『恋人たち』の中で使われた事を覚えています。いかにもフランス映画らしい内容でした。ストーリーを思い出すと、詩の中にさりげなく折り込まれた管理人さんの過去が見えるようです。

強い決意と信念の管理人さんに頭が下がります。
是非またお手伝いさせてください。
さつき
2011年07月08日 09:29
今回は今までにない衝撃的な内容でした。
彼女のメモに共感しました。
曲にも胸が熱くなりました。
本当に悲しい歌でしたね。
もっと知りたいと思うのは、内容が内容だから無理でしょうか。
拾碌
2011年07月08日 09:46
今回の続きで、長い記事が用意されていますが、『アクセスが少なかったら二日後くらいに載せて』と頼まれていました。
でもそのアクセス数が・・・。
管理人氏言う所の『どうでもいい捨て記事』も数本出来上がっているので、そちらをアップする事になりそうです。

氏のCDラックからブラームスを見つけて、勝手に弦楽六重奏曲を聴いてみました。
情熱的な曲なんですね。
初めてブラームスの魅力に気付きました。

氏の日程はまだ定まっておらず帰京の時期は未定です。
現在もひたすら体力勝負でがんばっているようです。
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