旅の宿


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私は生きている。
生きているが、もうポンコツである。
悲しいかな、その自覚がある。
自分は単なる社会の参加者であって、もう主役ではない。
下らないことだが、なかなか良い言い訳だと自負している。
そう考えて、浮世の憂さを晴らすべく、風呂場へ向かった。


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浴室の扉を開けると、かすかに硫黄臭がある。
大涌谷からの引湯だから期待できる。
湯の花も漂い、かなり良さそうな温泉だ。
手を入れてみれば適温で、おそらく40度ちょっとの湯温だろう。
温泉黒玉子は出来ないけれど、高温で体のタンパク質が凝固する心配はない。


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こんな時にはいつも俳句のひとつでもひねってみるのだが、頭の中は東北のことと、ボランティアで被災地に入っている友人知人たちのことで溢れてしまっている。
それでも、せっかくの休日なのだから、どうにか思考のスイッチをOFFにしたい。
同時に、ここ十年ほどで少しずつ顕著になる膝の痛みが慢性化していることに老いを感じている。
街中では、階段ではなく、無意識にエスカレーターを探している自分がいるし、真冬や梅雨の時期にしか痛まなかった足が、歳と共に衰えて来ているのが分かる。
だからこその、社会の参加者としてだけの自覚なのだ。


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サウナで汗を絞り出す。
汗の中には、疲労の原因となる老廃物も混じっているのだろうか。
性根の悪さも流れてくれれば有難いけれど、それは欲張りというものだ。
結局、風呂場に小一時間ほどいたが、私独りの貸し切り風呂だった。


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部屋に戻ってぐうたらしているうちに、食事の時間になった。
食堂へ出向いて見れば、案の定、お客は少ない。
人気の宿だけに、謂れのない風評被害の恐ろしさを実感する。
キャンセルしないで正解だったと思う。


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旅に出たからには当然、お約束のようになった感のある料理の撮影をする。
それがブログの基本らしいからだ。
美味しかったことは間違いないのだが、考え事ばかりしているので、これといって味の感想はない。
いつの間にか満腹になっていた。
腹六分~八分の自己規制が守られていないのは遺憾で、不徳の致すところであった。


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就寝前に、また風呂に入る。
リラックスして休みたいからだ。
ところが部屋から相棒に連絡を入れると、とんでもない情報を教えられた。
スーちゃんの葬儀に、彼女の肉声が流れたという。
そこでテレビを点け、ニュースを観た。
命が続くことを願いながら、それでも、どこかで覚悟を決めなければいけない。
その想いが伝わり、人間とは何と強い存在なのだろうと驚き、命のはかなさと、他人を思い遣る優しさに泣いた。

兄も親友も、最期まで覚悟を決められなかった。
それでも、あきらめられない命と、あきらめるしかない命を見つめるその違いに差はないはずだ。
だが、まだ一度も死んだことがないので、私には分からない。
奇蹟があるから「奇蹟」という言葉がある。
それなのに、経験上、私はまだ奇蹟を一度も見ていない。
約束されているのは、誰もが必ず死ぬということだけで、そこに死期を取り引きする紳士協定はない。
人間は、現実や真実と添い寝するだけの存在でしかない。


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温泉が適温なので、二十分も浸かっていただろうか。
また貸し切りの状態。
存分に体を温めてから、早々に就寝した。
仕事や震災モードのスイッチはOFFにならないが、膝の具合はすこぶるよろしい。


続く。




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