六十六年前の今頃は


今日三月十日は東京大空襲の日。
詳しく書くつもりはありませんが、昭和二十年のその日は20メートルを越す北風が吹き、寒い夜だったといいます。
でも、若い人には昔話のようです。
それでも私は下町で生まれ育ったこともあり、この空襲の被災者たちに当時の話を聞いたことも多く、「昔話」も親世代の現実であって、今でも生々しい「現在」なのです。


画像

広範囲に渦巻く炎熱地獄から逃げ惑う人たちが大勢押し寄せたのが、隅田川でした。
特にこの吾妻橋は、本所や浅草の東西両地域から避難した人であふれ、橋の上ではまったく身動きも出来ないほどだったと聞きます。
やがて熱風に髪の毛や衣服が自然発火し、たまらずに川へ飛び込む人が後を絶ちませんでした。


画像

飛び込むそばから次々と人が川の中で重なり合い、そのまま浮かび上がることが出来ずに溺死や圧死、また、着の身着のままなので凍死したりと、その惨状は筆舌に尽くしがたい凄惨な光景だったそうです。
この川面全体が、死者に覆われたといいます。
どんなにイメージを描こうとしても、想像が追い付きません。


   

画像

焼け野原になった東京下町です。
中央を横に延びる黒い筋は総武線で、画面の中心は錦糸町辺りでしょう。
隅田川に架かる清洲橋と永代橋が見えます。
奥には佃島、月島、そして東京湾。

非戦闘員を狙った無差別空襲のために、たった一晩で十万人もの人が亡くなってしまったのは、いったい何が原因なのでしょう。
日露戦争後の日比谷焼き打ち事件は、民衆が民衆自身の願望するポピュリストを育てる愚行でした。
それから日本がたどった道は、誰もが知っている通り。
通過して来た時代すべてが、これから国際社会で真っ当に歩むべき姿の教訓を内包しています。
最近は政治のガバナビリティが問題になっていますが、国の指導者を選ぶのは、我々国民一人一人の責任です。


戦争を考える時、必ずオマール・ブラッドレー(参照)の言葉が浮かびます。

戦争は開始も防止も出来る。
ゆえに防げなかった者は死者に対して責任がある。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

豆太郎
2011年03月11日 21:37
メールも通話も駄目で管理人さんと連絡がつかないのですが、拾碌さん、きららさん、連絡は取れてますか?
大丈夫だとは思いながらも心配です。
さつき
2011年03月11日 22:51
繋がりませんね。
きららさんに連絡してみます。。。
きらら
2011年03月11日 23:21
管理人さんの事業所へ連絡(固定電話)したら拾碌さんが出て、今は帰宅出来ない人たちを車で何往復もして自宅へ送り届けているそうです。
ご無事なようですよ。
ほっ。(・_・;)
(携帯はずっと圏外になってるみたい)
足柄 金太郎
2011年03月11日 23:48
ご無事なのですね。良かったです。
豆太郎
2011年03月11日 23:50
ありがとうございました。
交通機関の復旧が遅れているんですね。

亡くなられた方が多くて胸が痛みます。
拾碌
2011年03月12日 01:53
今管理人氏が事務所を出て、帰宅しました。
JRが動かずに困っていた人が数人いたのですが、彼のお陰でみんな助かりました。
感謝! お疲れ様でした。
ぴーち
2011年03月12日 01:54
ご無事で よかったです。
2020年01月
         1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31   

過去の記事

テーマ別記事

最近のコメント

QRコード