何となく今年はよい事あるごとし


午前零時を回り、年が明けました。
日付けが替わったことに気付いたのは、零時を二十分程度過ぎた頃で、事務仕事に没頭して独りで当直勤務をしていると、時間を忘れるようです。
経費節減で、どこもかしこも厳しい年末年始でしょう。
こちらも事務所のエアコンを止めているので、暖房はデスクの足元に置いた電気ストーブだけです。
それでも足が温まれば、何となく体全体も温かくなるようです。

夜の冷気をかすかに震わせ、つい先ほどまで聞こえていた除夜の鐘も、いつしか静寂に呑み込まれてしまいました。
時計の針が規則正しく時を刻み、目の前の未来を現在に取り込んでいます。
その現在にとどまることの出来ない「時」は、取り込んだ現在を過去という推進力で未来へと連鎖させています。
そのように切れ目なく続く「時」に、人間は暦という物差しをはめ、体内の拍動を継続させながら生き続けていくのです。

めぐり来る季節を疑わず、夏、秋、冬、そして春を待ちます。
そんな予定調和を生きる拠り所として、人は現在を咀嚼、嚥下していくのでしょう。
その時々の記憶を自分の物差しに印し、点を打ち、区切りをつけて安堵しながら一年を消化します。
「時」に逆行できない人間は、追憶というタイムマシンで物差しを遡行し、おのれの存在意義を確認します。
それを「生」の証しとし、あるいは未来への足掛かりとして歩むのでしょう。
連鎖する「時」に同調する「生」と、肉体をつかさどる意識。
その意識が主体ならば、客体はいずれ滅び逝く肉体に他なりません。
これが去年から続く、思索ともいえない想いです。

輪廻という概念があります。
時は流転し、誕生は死へと連鎖しますが、死は生誕へと継続するのでしょうか。
止まぬ雨はない、身罷らぬ生命もない。
その道理の果てに輪廻を肯定し、それが生きるということなのでしょう。
爛熟の幸福を享受し、または迷路をさまようが如くの、現世の営みの儚さにまみれ、物差しに終焉を告げ、朽ちた肉を風化させ、それでも「生」は再生するのでしょうか。
三界流転、生の濫觴、死のパラドックス…。
ただこの瞬間にも、地球上では果てる生命も、育ち行く生命もあるのです。
模索を続ける思惟、回答の手掛かりすらつかめない煩悶。
堂々巡りを繰り返しながら、私は新しい年を迎えています。

ソファに場所を移してコーヒーを飲み、ひと口目で一年を振り返り、ふた口目でこれからの一年に想いを馳せます。
何が変わったのか、何が変わらずに継続しているのか。
来し方の記憶の表層や、見えない未来を想像でなぞりながら、愚にもつかないことばかりを考えます。

底冷えの夜から冬がにじみ出し、事務所のカーテンを透かして部屋に紛れ込んでいます。
書類の整理にひと区切りつけて外を見れば、葉を落としたケヤキの枝越しに街灯が瞬き、街はつかの間の慰安の中にいました。
見上げれば、オリオン、ペテルギウス、冬の大三角形、光年の静寂。
静かな夜、穏やかな年の始まりです。
迷ってばかりの一年が終わり、もっと迷うだろう人生の、その一年のスタートです。


画像  ソファに座って夜明けまで、
  文庫本の啄木歌集を開きます。


新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど――



今までのことをみな嘘にしてみれど
心すこしも
慰まざりき



何となく
今年はよい事あるごとし
元日の朝晴れて風無し



夜明けまであと一時間。
晴天に恵まれた元旦になるでしょう。
啄木だって、心穏やかに新年を迎えた年があるのですから。


画像

今年も「中年漂流記」は続きます。
よろしくお付き合いをお願いし、併せてみなさんの健康もお祈り致します。


神送り 驕りを削げば 無垢なるや   多蘭



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