あの日と同じ雨


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兄が亡くなって、今日で十年になった。
日が射した昼から一転して、今この時間、暮れかかる街に幽かな雨が降りて来た。
通夜から告別式にかけて、細い雨が降っていたこと、蒸し暑くて消耗したことを思い出した。

今までの人生で、号泣したのは二回、その一回が兄との別れだった。
幼い頃は、よく喧嘩をした。
長じて、その反動かどうかは不明だが、年離れた兄を、ずっと尊敬しながら過ごした。
兄弟は他人の始まり、というのは嘘だ。
時間は心の中の何かを癒すけれど、それが何かは判らない。
いま抱えている閉塞感も、十年間続いていることを確認しただけだ。

本来、時間とは無の無限連鎖だから、時間は人を助けもせず、害も及ぼさない。
ということは、時間は現象の形式に過ぎないから、主観と意思は、時間から無縁のところにあることになる。
同じようなことをどこかで知ったように記憶しているが、それがカントだったかショーペンハウエルだったかは覚えていない。
ただ、このテーマをていねいに咀嚼すれば、「生きる意味、生きた意義、そして遺る想い」で、一本の小説が書けるような気がする。
時間を作って挑戦してみよう。

十年ひと昔。
ひと昔とは、ずいぶん短い月日だと驚愕する。
これも馬齢を重ねたツケなのだろう。
それにしても、人生とは、重いツケを清算するために存在しているように思えて来るから情けない。
本降りの雨が来れば、その中に立ち尽くしてみたい。

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この記事へのコメント

2010年06月08日 22:42
こんばんは。
珈琲に煙草を燻らせて、
後姿で語れる人を想像してしまいました。
カッコいいお兄様だったのでしょうか?

生きる意味、生きた意義…って、
難しい、永遠の課題ですね。
何かをしなければいけないような、
でも、何をしたらいいのか解らない
自分がしなければならない事は、
あるのか、無いのか、
気が付いていないのか、
見落としたのか?
混沌とした毎日に、
ただ、息だけしてる…。
暗中模索、五里霧中、
私もずっと、見つけられずに、
未だに探し中です。

時間が癒してくれるのは、
記憶だと思います。

人は誰でも、
心の中に宝石箱を持っていて、
その宝石箱の中には、
楽しい事や、面白い事は、
入らないンですって。
辛い事や悲しい事を、
閉じ込める為の、
箱なんですって。

その箱が開く時は、
辛い事や悲しい事が、
思い出にかわった時に、
少しづつ開くンですって。

そして、その思い出が、
寄り添ってくれて、
時には自分を励ましてくれて、
時には叱る事もして、
そうやって、心を支えてくれるンですって。
だから、癒しも得られるンですよ。
(*^_^*)
人って、一人では、
生きて行けないんですよね…。
そうやって、命って繋がっていくのですね。

いつも、長いコメントになってしまって、
ご迷惑、お掛けしてると思います。
すみません。言いたい放題で…。
管理人
2010年06月09日 06:39
余命一カ月の宣告を受けてからも、兄は自分のスタイルを変えませんでした。
喫煙も、「16から吸ってるんだ、やめるなら死んだ方がマシだ」と、うそぶいていました。
もちろん喫煙が良くないことは承知ですが、兄に限らず、「あれほど望んでいたのに、どうして好きにさせてあげなかったのだろう」と、喫煙や飲酒を強引にやめさせたことを悔やむ遺族が多いのも事実です。
それでも、わずかでも生への希望や可能性があるのなら、やめさせるのが当然ですね。

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