特売原理主義


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世の女性たちはことのほかバーゲンというものが好きなようで、デフレ社会のいま、それはそれで賢い購買行動だと思うのです。
ところがそちらで勝手に行動してくれていれば良いのに、そのとばっちりがこちらに回って来ると、いささか状況が変わり、うろたえてしまうのです。
これもまた女性が大好きな、特売のお話です。


昨日は寒い日でした。
こんな日は、暖かい部屋でのんびりぬくぬく読書でもしているのが幸せと、デボラ・ゴードンの、「アリはなぜ、ちゃんと働くのか」を数年振りで読み返していました。
すると突然、目の前にスーパーのチラシを突き付けられました。
「コレ、買って来て」
それはインスタントコーヒーの特売品でした。
「まだあるから大丈夫でしょ」
普段はペーパードリップで飲んでいるので、我が家のインスタントコーヒーはあくまで予備役なのです。
豆を買い忘れたときにしか、出番がないのです。
それを確認の意味で伝えます。
「飲むのはアナタでしょ」
言われてみれば、確かにその通りで、こちらは反論が出来ません。
この商品の特売価格は、周辺スーパーでの底値だと強調するのです。
「お一人様一点限りなんだから、早く行かないと売り切れるわよ」
ブルゾンを着せさせられ、背中を押し出されて自宅を出ました。


いつもは我が家から徒歩3分の巨大スーパーで、すべての買い物を済ませているのですが、このスーパーは徒歩5分もかかる場所にあるのです。
間断なく降り続く霧雨が、時に雪に変わる、底冷えのするお天気です。
ですから、わずか2分の違いといえど、傘を差して行く2分は、普段の2分と同じではないのです。
傘を持つ手がかじかんで来ます。
売り切れるといけないと、早足で向かいました。


目指すスーパーに到着、傘をたたんでカゴを手にします。
特売のコーヒーはすぐに見つかりました。
人気の商品らしく、多くの人が手を伸ばします。
それでも山積みのコーヒーはまだまだたくさんあります。
急いで来る必要はなかったのです。
まず一本を確保し、別の売り場へ移動します。
一画ではバレンタインということで、さまざまなチョコが並んでいました。
ここ十数年は義理チョコばかりで遺憾に思うのですが、もともとチョコレートにはさほど関心がないので気にもなりません。
10本パックの焼き鳥と、それにヒラメのお刺身、牛乳、豆乳、冷凍のタコ焼きなどをカゴに入れ、レジで清算を済ませました。


帰宅すると、敵の機嫌が悪くなりました。
「どうして必要のないものを買って来るの」
話が長くなるので要約しますが、鮮魚はスーパーの閉店間近の割引き、牛乳や豆乳は別の特売日に買うものだと怒っているのです。
ましてや、冷凍タコ焼きなどは不必要の最たるものということで、言われれば確かにその通りなのだろうと反省します。
しかしここで強調しておきたいのですが、特売のインスタントコーヒー一本だけを買うにはかなりの抵抗があります。
いえ、男として、決してそんな真似は出来ないのです。
反論にもならないのは承知で、
「まだたくさん山積みされてたよ、急いで行くことなかった」
「なら、もう一度買って来て」
墓穴を掘る、とはこのことでした。


寒い中を戻ったばかりなのに、再度、スーパーへ向かいます。
またコーヒーをカゴに入れ、菓子パンも買って外に出ました。
どうしても特売のコーヒーだけを買うことが出来ませんでした。
それほど食べたくもない菓子パンを歩きながら頬張り、証拠を隠滅してから帰宅します。
「はい、一本買って来たよ」
ここで敵は、やっと満足そうな顔を見せました。

おかえりと 笑顔で言われ 身構える

今年のサラリーマン川柳が浮かびました。


夕食の支度を一緒にします。
玉ねぎを切るように言われたので、皮を剥き、刻み始めます。
「裏技、教えてあげる」
玉ねぎを切ると、どうしても涙が出ます。
その涙を出さずに玉ねぎを切る方法があるのだそうです。
「割り箸を横に咥えながら切ると、あ~ら不思議、涙が出ないんだよ」
言われた通りに割り箸を横咥えして切ってみます。
あ~ら不思議、本当に涙が出ません。
目と口でどんな作用が勃発しているのか訳が判らないながら、調子良く玉ねぎを刻めます。
ところが作用には必ず反作用が働くもので、横咥えして半開きになった口から、ヨダレが落ちそうになります。
「汚ないわね」
それを見咎められました。


何がどうなってしまったのか、役立たずということで、またスーパーへ特売のインスタントコーヒーを買いに行くことになりました。
たくさんあっても腐るものじゃないからとの理屈だそうです。
そしてある戦略を授けられ、また5分かけて寒い中を出掛けました。
今日3回目の入店です。


恥を忍んで一本だけを手に、レジに並びます。
前後にはカゴに商品を満載した主婦がいて、かなり恥ずかしい状況になってしまいました。
わずか数分の辛抱だからと自分に言い聞かせ、この場を耐えます。
隣のレジでは、私と同世代らしいおじさんが、やはりインスタントコーヒーを一本だけ清算しています。
それはまことに嘆かわしい光景で、日本男児の矜持も地に落ちたかと、おじさんを見て情けなくなります。
男なら、もう少しシッカリしなさいと言ってやりたくなるのです。


数分の辛抱の末、レジ係のお姉さんにどう思われているかという思いを封印し、コーヒー一本とレシートとお釣りを受け取り、そそくさと店を出ます。
とにかく、一刻も早くこの場を離れたい、その気持ちだけでした。
しかしこれで終わりではありません。
ここで、伝授された秘策を決行しなければならないのです。
清算を済ませたコーヒーをブルゾンのポケットに入れ、しっかりと隠します。
そして再度、スーパーへ戻りました。
もちろん、もう一本買うためです。
ポケットのコーヒーは、万引きと間違われないように、うまく隠れているか、もう一度念入りに確かめます。
それでも、間違われて連行されても申し開きが出来るように、手には先ほどのレシートを握りしめて入店しました。
また屈辱の数分間を耐え忍び、もう一本の購入を済ませました。
もちろん、先ほどと違うレジを通ったのは言うまでもありません。


出掛ける時、敵は小麦粉を溶いていたので、今日は天ぷらかと思いながら帰宅すると、すいとん入りの豚汁が出来上がっていました。
焼き鳥やヒラメのお刺身とともにカキフライも食べ、寒い一日が終わります。
「はいこれ、本命の手作りチョコだからね」
日付けが変わると同時に、チョコと、以前から欲しかった物をプレゼントされました。
予想としてチョコは、おそらく特売品に違いないと思うのです。
10倍返しが相場と聞かされ、落ち込みつつ眠りにつきました。


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