平和とは


錦糸町近くで用事を済ませた帰り、東京都慰霊堂に寄った。
この横網町公園は、震災の犠牲者が多数葬られた元陸軍被服廠があった場所。
そして米軍による東京への度重なる空襲による被害者たちを追悼する場所。

犠牲者名簿を納めてある花壇はヒマワリに彩られていた。
その前に仲の良さそうな若いカップル。
聞くともなく聞こえる会話は英語。
女性は日本人らしいが、男性はアメリカの若者のようだ。
(君の親の世代が焼夷弾を落として十万人を焼き殺したんだよ)
どこからかそんな声も聞こえて来そうだ。
しかし現実感はない。
風化はしないが、時は確実に流れているということか。
いまや日米は強力な軍事同盟で結ばれている。
そんな現実を知って、ここに瞑る人たちはさぞ驚いていることだろう。
63年前とは最近か、それとも「昔」になりつつあるのか。

カップルは楽しそうだ。
きっと、平和とはこのような形なのだろう。
君たち若い世代に幸多かれと願う。


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    震災記念堂 東京都慰霊堂 由来記

 顧れば大正十二年九月一日突如として関東に起った震災は東京市の大半を焦土と化し、五万八千の市民が業火のぎせいとなった。このうち最も惨禍をきわめたのは陸軍被服廠跡で、当時横綱町公園として工事中であった。与論は再びかかる惨禍なきことを祈念し慰霊記念堂を建立することとなり官民協力広く浄財を募り伊東忠太氏等の設計監督のもとに昭和五年九月この堂を竣成し東京震災記念事業協会より東京市に一切を寄付された。
 堂は新時代の構想を加味した純日本風建築の慰霊納骨堂であると共に、広く非常時に対応する警告記念として、亦公共慰霊の道場として設計された三重塔は百三十五尺基部は納骨堂として五万八千の霊を奉祀し約二百坪の講堂は祭式場に充て正面の祭壇には霊碑霊名簿等が祀られてある。
 爾来年々祭典法要を重ね永遠の平和を祈願し「備えよつねに」と相戒めたのであったが、はからずも昭和十九、二十年等にいたって東京は空前の空襲により連日爆撃焼夷の禍を受け数百万の家屋財宝は焼失し無慮十万をこえる人々はその難に殉じ大正震災に幾倍する惨状を再び見るに至った。戦禍の最も激じんをきわめたのは二十年三月十日であった。江東方面はもとより全都各地にわたって惨害をこうむり約七万七千人を失った。当時殉難者は公園その他百三十ヶ所に仮埋葬されたが同二十三年より逐次改葬火葬しこの堂の納骨堂を拡張して遺骨を奉安し、同二十六年春戦災者整葬事業を完了したので東京都慰霊堂と改め永く諸霊を奉安することになった。
 横綱公園敷地は約六,000坪、慰霊堂の建坪は三七七坪余、境内には東京復興記念館中華民国仏教団寄贈の弔霊鐘等があり、又災害時多くの人々を救った日本風林泉を記念した庭園及び大火の焔にも耐え甦生した公孫樹を称えた大並木が特に植えられてある。

        昭和二十六年九月  東京都




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