テーマ:斑鳩

奈良の絵日記 斑鳩

前回の、「奈良の絵日記 三日目」からの続きです。 軽い夏風邪と、軽い熱中症?で体調がすぐれない。 とはいっても、奈良に来た目的は法隆寺。 何としてでも行かねばならぬ。 近鉄奈良駅前からバスに乗った。 風邪薬のせいか、次第にトロトロと眠ってしまった。 危うく乗り過ごすところだった。 あぶないあぶない。 …
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

法隆寺大講堂

現在の回廊は経蔵と鐘楼を取りこんで大講堂へ至るが、かつてそれらは回廊の外にあった。 西暦925年(延長三年)の火災以後、現在の配置になったという。 「延長」といえば、菅原道真の怨霊が京の都を跳梁して、朝廷を恐怖のるつぼに陥れていた時代だ。 なぜ東西、北の回廊をそのまま直線で四角形にして、経蔵と鐘楼を伽藍の内側に置かなかった…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

法隆寺五重塔

出羽山、薬師寺、室生寺、法起寺と並んで、この五重塔は私の好きな塔のひとつだ。 阪神淡路大震災の報に接した時、誠に不謹慎だが、まず心配したのが、 「倒壊していないだろうか」 ということだった。 たびたび通うのも、優美なこの塔の存在が大きい。 上宮王家は若草伽藍の塔内で滅亡したが、この西院の塔心礎に納められた仏舎利は、山背…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

法隆寺西院伽藍

中門を背に講堂を望む。 明治期から連綿と続いた再建非再建論争もすっかり決着を見た。 建立から千四百年近くを経て、平成の御世に生きる我々は、ただ世界最古の木造建築物の息づかいを感じるだけだ。 推古や厩戸の息吹を受け止め、山背大兄や入鹿の確執に胸を痛め、天智、天武、持統の実在に思いを馳せ、そして時の流れの途上には、行幸した…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

法隆寺回廊

初めて法隆寺を訪れたのは中学の修学旅行だったと思う。 記憶といえば、金堂内が暗すぎて何も見えなかったことと、もうひとつ、聖徳太子もこの回廊を歩いたんだろうな、ということくらいか。 少しでも歴史に関心があれば、西院伽藍は厩戸の死後に建立されたことくらいは判っただろうに、勉強不足だった。 多くの寺を廻っていると、ここの凸形…
トラックバック:0
コメント:2

続きを読むread more

斑鳩

まだ西院伽藍の中門前付近でウロウロしている。 何だか入るのがもったいないのだ。 楽しみはなるべく後の方がいい。 年離れた兄と二人兄弟だったせいか、大好物の食べ物を最後に取っておいても誰も手をつけない。 だから安心していられた。 好きな食べ物から手をつけるのは決まって兄弟の多い友人たちだった。 さて、ここで法隆寺を…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

法隆寺中門

五柱四間の中門は怨霊鎮めのために建てられたといったのは梅原猛だったか。 643年、蘇我入鹿の襲撃によって滅ぼされた太子一族の霊は鎮まったのだろうか。 各地の寺を回り続けていると、確かに中央に柱の立つこの構造は奇異に映る。 側面の三間も、全体のバランスを考慮した場合、若干の違和感を覚える。 四間の正面に対し、果たしてこれだ…
トラックバック:0
コメント:12

続きを読むread more

築地塀の魅力

南大門をくぐると視界が開け、法隆寺の懐の深さを実感する。 築地塀が控え目な高さで延び、正面に見える中門を引きたてている。 竹山道雄は次のように記した。 たたずんでこの広場をながめていると、すべて明晰をきわめた空間の中に、なにかふしぎなものが感ぜられた。どこかに一点の謎のようなものがあった。この印象が気にかかったが、それ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

法隆寺南大門

先人は松並木を歩いてやって来た。 歩くほどに、塔を始めとした伽藍の屋根が鮮明になる。 期待が高まる参道だ。 それは名曲の序奏と同じで、導入部からすでに陶酔に包まれる…。 かつて、その並木までもが寺域だったという。 今は土産物屋や観光客に押し戻され、法隆寺はこの南大門で現代の大波を食い止めているように見える。 私も…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

2022年11月
      1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30         

過去の記事

テーマ別記事

最近のコメント

QRコード