テーマ:スケッチ

色とりどり

かれこれもう何十年間も、湯河原を通るたびに、この海の家の看板が目に入る。 気にしなければそれまでのことで、日焼けしましょ、と言うつもりで付けた名前だろうことは想像できるが、有料道路が邪魔して、夏の浜で、実際にこの名前で営業しているかわからない。 誰も指摘しないし、経営者にも自覚がないのだろうから何十年も続いて? いる…
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あはれあはれ

実家の終活もままならないのに、同時進行で我が家の生前整理を始めたものだから、足の踏み場がない。 押入れから様々なものを引っ張り出し、出したはいいが、収拾がつかなくなっている。 それは心のどこかでまだ自分には時間があると思い込んでいるからで、根拠のない無自覚な確信である。 てなわけで、「旅館みたい!」と言われた和室はカオスと…
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海辺のスケッチ

旅行に出る時、気まぐれに持って出たスケッチブックと、コンパクトな水彩絵具セット。 その絵具が、この季節のせいで乾燥してしまい、使いたい色が気持ちよく水に溶けてくれない。 そのために何枚か失敗して、書き直しを繰り返した。 もともとは淡彩を好むから何とか誤魔化し、自らに課した禁じ手の極細サインペンで輪郭を描いて…
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奈良の絵日記 室生寺

前回の、「奈良の絵日記 斑鳩」からの続きです。 レンタカーを借りて、室生寺へ向かうことにした。 コンパクトな1000㏄か1500㏄でいいのに、二時間待たなければ戻って来ないという。 今は1800㏄のカローラしかないと、関西弁で力説するので、言う通りにした。 明日は仕事があるんやから、こっちかて、とにかく朝から慌た…
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奈良の絵日記 斑鳩

前回の、「奈良の絵日記 三日目」からの続きです。 軽い夏風邪と、軽い熱中症?で体調がすぐれない。 とはいっても、奈良に来た目的は法隆寺。 何としてでも行かねばならぬ。 近鉄奈良駅前からバスに乗った。 風邪薬のせいか、次第にトロトロと眠ってしまった。 危うく乗り過ごすところだった。 あぶないあぶない。 …
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奈良の絵日記 三日目

前回の、「元カノに逢いに行った」からの続きです。 江戸の敵を長崎でとは聞くけれど、まさか東京の疲れが奈良で出るとは思わなかった。 前夜は昼間の暑さから解放され、宿のエアコンに救われた気分だった。 ところが夜十時には就寝したものの、日付けが変った頃に目が覚めてしまった。 どうやら軽い夏風邪を引いてしまったらしい。 …
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元カノに逢いに行った

前回の、「奈良の絵日記 東大寺」からの続きです。 大和西大寺駅から秋篠寺まで歩いた。 競輪場が周辺の雰囲気を壊しているけれど、これも仕方のないことなのか。 ため息が漏れる。   相変わらず人が多い。   折しも今日は日曜日。   人が途切れたところで、   やっと一枚撮った。 以前は車で来て楽…
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奈良の絵日記 東大寺

前回の、「賢くない中年」からの続きです。 東京に比べ、奈良の暑さは横綱級だ。 参った。 と嘆きつつも、宿に荷物を預けて東大寺に向った。   こんなもの、 以前は無かったけどなぁ。   ま、いいか。 それにしても人が多い。 青春18きっぷは昨日で終わっているのだが、あいにくの週末だったことを失念し…
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法隆寺大講堂

現在の回廊は経蔵と鐘楼を取りこんで大講堂へ至るが、かつてそれらは回廊の外にあった。 西暦925年(延長三年)の火災以後、現在の配置になったという。 「延長」といえば、菅原道真の怨霊が京の都を跳梁して、朝廷を恐怖のるつぼに陥れていた時代だ。 なぜ東西、北の回廊をそのまま直線で四角形にして、経蔵と鐘楼を伽藍の内側に置かなかった…
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法隆寺回廊

初めて法隆寺を訪れたのは中学の修学旅行だったと思う。 記憶といえば、金堂内が暗すぎて何も見えなかったことと、もうひとつ、聖徳太子もこの回廊を歩いたんだろうな、ということくらいか。 少しでも歴史に関心があれば、西院伽藍は厩戸の死後に建立されたことくらいは判っただろうに、勉強不足だった。 多くの寺を廻っていると、ここの凸形…
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斑鳩

まだ西院伽藍の中門前付近でウロウロしている。 何だか入るのがもったいないのだ。 楽しみはなるべく後の方がいい。 年離れた兄と二人兄弟だったせいか、大好物の食べ物を最後に取っておいても誰も手をつけない。 だから安心していられた。 好きな食べ物から手をつけるのは決まって兄弟の多い友人たちだった。 さて、ここで法隆寺を…
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法隆寺中門

五柱四間の中門は怨霊鎮めのために建てられたといったのは梅原猛だったか。 643年、蘇我入鹿の襲撃によって滅ぼされた太子一族の霊は鎮まったのだろうか。 各地の寺を回り続けていると、確かに中央に柱の立つこの構造は奇異に映る。 側面の三間も、全体のバランスを考慮した場合、若干の違和感を覚える。 四間の正面に対し、果たしてこれだ…
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築地塀の魅力

南大門をくぐると視界が開け、法隆寺の懐の深さを実感する。 築地塀が控え目な高さで延び、正面に見える中門を引きたてている。 竹山道雄は次のように記した。 たたずんでこの広場をながめていると、すべて明晰をきわめた空間の中に、なにかふしぎなものが感ぜられた。どこかに一点の謎のようなものがあった。この印象が気にかかったが、それ…
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法隆寺南大門

先人は松並木を歩いてやって来た。 歩くほどに、塔を始めとした伽藍の屋根が鮮明になる。 期待が高まる参道だ。 それは名曲の序奏と同じで、導入部からすでに陶酔に包まれる…。 かつて、その並木までもが寺域だったという。 今は土産物屋や観光客に押し戻され、法隆寺はこの南大門で現代の大波を食い止めているように見える。 私も…
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石舞台古墳

キツネが夜な夜なこの巨石の上で踊ったかは眉つばだが、表土を失った石組みはいつ訪れても存在感に満ちている。 しかしこの古墳が特別大きいわけではなく、それを語るなら丸山古墳や岩屋山古墳などの方がはるかに規模は大きい。 一般的には蘇我馬子の墓とされているが、果たしてそうであろうか。 時の権力者の墳墓にしては少し物足りない気がする…
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橘寺

聖徳太子の生まれた寺ということで有名だが、現在の伽藍はほとんどが幕末に近い後世のもの。 背後に仏頭山を控えるせいか、寺域は狭い。 東門から西へ、ほぼ一直線に鐘楼、経蔵、庫裡、観音堂、客殿などが並ぶ。 寺にそぐわない二面石は時代やその意味付けも出来ずに、ミステリアスで様々な想像が頭を駆け巡る。 それでも古い橘寺を偲ぶには塔…
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軍国少年

「未来のない人間は過去ばかり振り返る」 誰かの言葉です。 その言葉通りに、最近は古い思い出ばかりが蘇ります。 周囲に親しい人はいますが、鬼籍に入った人の数はその倍以上。 逢いたい人たちは彼岸に溢れています。 歳を重ねると「死」は恐怖ではなく、身近で心休まる概念として存在し始めるのも自然なことでしょう。 十代では、時間とは…
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仏像に恋をした

久しぶりに絵筆を取り、阿修羅像を描いてみました。 十代後半から二十代半ばまでの頃、彼女(彼?)に焦がれて何度も奈良通い。 二十代後半からは秋篠寺の伎芸天に魂を奪われました。 描き終えて絵筆を置けばすでに深夜。 東京の夜空を仰ぎます。 余生とは余情と決めし居待月   多蘭 周囲があきれるほど頻繁に奈良へ行っ…
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