ここだけの話をここだけでする


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10月26日のこと。
見舞いに行くと、すでに友人のリハビリが始まっていた。
左半身に麻痺が残り、これがどの程度まで回復するかが今後の課題となった。
利き手の右半身が動かせるのは、不幸中の幸いと言うべきか。

リハビリが終わり、本人と彼の奥さんと、そして私の三人で医師から詳しい病状を聞いた。
ここで詳しくは書かぬが、他に体の不具合が見つかった。
これから数日間、再検査が続く。
同時にセカンド、そしてサード、場合によっては4番目のことも。
「後のことはオレに任せろ」
と啖呵を切って、笑顔を見せてやった。

奥さんと二人で病院を出てから二時間ほど、今後の事業所の運営のことなどを話し合った。
奥さんには要介護度3の母親がいる。
一方、彼は両親の介護を貫徹し、悔いを残すことなく父母を送って身軽になった。
その身軽な彼が戦線を離脱するのだ。
どうしても人手が足りない。

もう何年もの付き合いになるが、彼にも奥さんにも、ずいぶん良くしてもらった。
出会いは、路上に停まっているデイサービスのリフト付きワゴン車で働く彼に私が声を掛けたことから始まった。
私には当時、割と自由になる時間があったので、週に1日か2日くらいは手伝えるかな、くらいの感覚だった。

格好つけるわけではないが、お金は要らない。
無為に過ごしている週1か週2の休日を、何か有効に使いたいとの思いからだった。
本音を言えば、母の介護に大したこともできずに逝かせてしまって悔いを残したことと、いずれ実家の年寄りに介護や介助が必要になった場合の参考、及び見学程度の不純な動機だった。

「ボランティアをさせて貰えないでしょうか」
資格がないので運転くらいしかできないが、少しだけでも何かの役に立てれば、そして無為な日を解消できれば、といった軽い感覚だった。
それからの付き合いで、以後、さまざまな経緯はあったが、事業所のスタッフの一員として日々を過ごすことになった。
慣れて来るにしたがってプライベートでも一緒の時間が増えた。
俳句や散歩などの趣味はもちろん、さまざまなものに対する考え方や思想信条までもが近いこともわかった。

そうなると、当然のごとく一番親しい友人同士ということになる。
この歳になると尊敬できる友人など、なかなか見つかるものではない。
そんな人物と、現にこうして巡り合えたのだから、人生って、まんざら捨てたもんじゃないなと思った。

その大切な友人の危機である。
一度啖呵を切ったからには、どうしても助けねばならない。
困難はあるが、暮らしのために生きることをやめる覚悟を決めればどうにかなるだろうと、深刻にならぬよう自分に言い聞かせるのだ。

画像と、ここまではカッコつけてはみたものの、限界もある。
困ったときは相身互い。
情けは人の為ならず。
いろいろと理屈をつけてみるが、不条理にも程がある。

結局、本当の友人関係とは、金銭的にも時間的にも精神的にも泣く泣く相手の迷惑を引き受け、泣く泣く相手に迷惑をかけるように出来ている。

来年からは少し楽をしようと思っていたが、正反対になってしまった。
生きるということは、予定や計画を自ら反故にしたり、裏切られることの連続なのだ。

いい歳こいて、やっとこさ人生の重さがわかって来たぞ。
要するに、茫漠として掴みどころのないのが人生の面白さと怖さなのだと思う。

また本音を吐いて締めよう。
面白くねえなあ、ったく!
怖くて寂しいよ。


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