銭湯は迷わず女湯に入る


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江戸東京たてもの園の、下町ゾーンの核となる「子宝湯」の前までやって来た。


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履き物を脱いで自由に入れるのだが、ここはもちろん女湯から覗いてみることにする。


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タイル絵は「高砂」か。
風呂に浸かって身を清め、長命を寿ぐ意味があるのだろう。


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男と生まれたからには、誰もが必ず憧れる番台。
男子の本懐である。
正規の営業中に座ってみたかった。


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立派な格天井。
以下の説明がある。


 子宝湯は足立区千住で営業していた銭湯で、開業は1929年(昭和4)10月である。建物は施主が出身地の石川県から気に入った職人をつれてきて造らせたという。
 玄関には神社仏閣を思わせる大型の唐破風がのっている。また、玄関の上には、舟に乗る七福神の精巧な彫刻が取り付けられている。脱衣所には趣向を凝らした坪庭が付き、浴室部分には大正から昭和にかけて東京の先進的な銭湯が取り入れたといわれるタイル絵がはめこまれている。
 このように、子宝湯は、東京の銭湯を代表する形式をもち贅を尽くした造りとなっている。
 建物は建築当初を復元し、内部は昭和30年代の銭湯の様子を再現している。



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消費税が導入された現在同様、1円玉が幅を利かせていた時代。
まだ私は生まれていない。


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映画館の上映予定ポスター。
タイトルを見ても、ひとつも知らない映画ばかり…。


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やはり女湯、男性の脱衣所には見られないもの。
でも最近は「イクメン」が増えているようだから、現在の銭湯にも、このようなものもあるのかも知れない。
もう数十年、銭湯には行っていないので、その辺りの事情は不明。


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靴下を履いたまま浴室に入る。
子連れのお母さんが多かったのだろうと、タイル絵の昔話を見て思う。


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銭湯といえば、やはりペンき絵だ。
描かれている場所は、ペンキ職人の想像上の風景だろう。


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もちろんお湯はないが、浴槽の中から撮ってみた。
天井の高さが開放的で爽快だ。


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別に興味はないが、今度は男湯の脱衣所。
ここで外から複数の男性の声が聞こえ、
「どうせなら、女湯から入ろうよ」
まったく男って奴は…。


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不心得者への心得。
伝染する病気って何だろう。
私の親世代ならば、決して忘れられないのが昭和33年3月31日。
花柳病か、はたまた水虫かインキンか…。
いずれにせよ、似たようなものだ。
違うかな?


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力道山VSブラッシーと、裕次郎主演の映画ポスター。
この頃のプロレスは記憶にある。
お約束のようにブラッシーに頭を噛まれ、力道山はいつも流血していた。
力道山が刺されて死んだ時は、「まさかあの強い力道山が」とショックを受けた。


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男湯洗い場のタイル絵は平家物語(義経記?)になっている。
カランがひとつしかない。
シャワーがないのは当時としては当然としても、もちろんカランからはお湯が出るのだろうが、思ったより熱いお湯の場合、これでは水で薄められないではないか。


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男湯のペンキ絵は、定番の白砂青松と富士山。
普通は三保の松原であるべきなのに、左右を間違えたかどうか、この構図は西伊豆からのものだ。


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説明にあった坪庭がこれだろう。
湯上りに、すっぽんぽんで涼めば気持ち良かろう。


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女湯から入ったので、女湯から出る。
改めて振り返って見てみれば、まるで二条城の二の丸御殿そっくりだ。


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子宝湯に向かって左隣は、1856年(安政3)に建てられたという居酒屋の「鍵屋」。
攘夷の嵐が日本中に渦巻いていた時代だ。
元の所在地は台東区下谷。


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もちろん、実際は銭湯に隣接していたわけではないが、風呂上がりにちょいと一杯、という風情で夏のれんが風に揺れている。

店内の様子。

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説明板によると、酒の小売店を経て、1949年(昭和24)から居酒屋を始めたとあり、あの借金大魔王、内田百閒も通ったらしい。
溜まったツケを催促されると、「まあだだよ」と煙に巻いたのかも知れない。
昭和45年頃のイメージで復元されている。


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鍵屋の裏手に回ってみた。
左奥の白い塀は子宝湯。


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次に、その子宝湯の右隣にある仕立屋を見る。
説明板によると、以下の通り。


 現在の文京区向丘に建てられた出桁造りの町家である。正面の格子や上げ下ろし式の摺上げ戸などに、江戸からの町家の造りをうかがうことができる。創建時には6畳間後ろに土蔵が付属していたが、昭和50年代に取り壊されたため、部屋部分のみの復元となった。また、室内のガス燈は、ランプから電灯に移り変わる途上の明治後期から大正期にかけて一般家庭の一部に普及したものである。
 この家では、戦後は八百屋、昭和初期はテーラーであった。今回は、建物の間取りを創建時に戻したこともあり、内部を大正期の仕立屋の仕事場と想定し、再現することとした。仕立屋は、特に店構えなどはせずに自宅を仕事場としていた。親方のもとに弟子が住み込みで働くのが普通で、ここでは親方と弟子4人の仕事場を再現した。



建てられた年は1879年(明治12)とのこと。
板塀に囲まれた庭があり、そこから室内を見ることができる。

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まるでほんの少し前まで、実際に職人が仕事をしていたかのような演出がなされている。
この季節は浴衣だが、季節ごとに着物もアレンジされるのだろう。


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仕立屋の全景。

くどいほど東ゾーンの記事をアップしてきたが、まだまだ終わらないのだ。
粘着気質と思われるのは片腹痛いけれど、しばらくPCに向かえなくなるので、こうして書き溜めている。

今の東京はすっかりつまらない街になり下がってしまったが、ほんの数十年前の東京は本当に面白い。
とにかく、江戸東京たてもの園の下町散歩は、しつこく続く。
だからもう少しだけ我慢してください。


訪問日 2011.7.12



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