がんばれツッパリくん


区から耐震グッズを割安で販売するという通知があり、カタログの値段を見た。
それは消火器であったり、転倒防止金具であったり、種類は多い。
金具の他には、揺れの時に家具と天井を固定する「ツッパリ棒」もあった。
サイズはいろいろだが、一番小さなツッパリ棒が、定価4,000円のところ、半額の2,000円に割り引かれている。
「安いんじゃない?」
実家から連絡があったが、
「ちょっと待て」
とストップをかけた。

今回の大震災直後、何軒かのお宅の家具に、同じような耐震補強をした。
それらのグッズは大型量販店のもので、ワンセットが1,200円を切っていた。
カタログと変わらない商品だ。
1,200円弱で一般に売られているものが、なぜか半額でも2,000円。
区が業者と仲良しだからなのかは知らないが、購入しても実際に取り付けてくれるわけではなく、あくまで販売のみ。
区も安直な商売の片棒を担いでいるなと呆れた。

それでも、高齢者が目立つ地域なので、「区が斡旋する商品だから」と考えて、購入する人もきっと多いだろう。
区はその商品の適正価格を知っているのか。
知っていてカタログで特定業者を斡旋しているのか。
それとも、知らずに高値で区民に高額商品の購入を薦めているのか…。

話がクドくなった。
早い話、「そんなもの買うな」ということだ。
そこで同じ商品を買い求め、実家へ向かった。


画像

天井と家具。
この間にツッパリくんで補強しようと思う。


画像
 古い家屋だから、天井板の強度が心配で、
 薄い合板を噛ませてからツッパラせた。



画像

簡単に取り付けが終った。
古色を帯びた天井は、仏壇のお線香や、神棚のお燈明の煤が、長年にわたって沁み込んだもの。


画像

下町の住宅密集地だから、一階は昼間でも照明を点けるのは当たり前。
配線も、むき出しの状態。


画像

漏電が心配で、何年か前に電気技師に診断して貰ったことがある。
「この方がはっきり目視できるし、何も心配はありません」
とのこと。
それでも、これじゃ、あまりにも貧乏くさいし、配線も劣化しているように見えるので、直すべきか考えた。
しかし、見栄えを気にして工事をすれば、天井をふさぐことになる。

見た目はボロ家、強いて良くいえば古民家。
この丈夫な梁が、関東大震災でも、今回の震災の揺れでも、立派に持ちこたえてくれた。
大きな揺れが来た時には、真っ先に実家に連絡をした。
当然、ペチャンコに潰れているだろうと心配したからだ、
ところが、屋内も屋外も、どこもまったく異常はないとのこと。
さすが、昔の家の造りは頑丈に出来ている。
ただし、死んだ婆ちゃんの話によれば、関東大震災の時は、神棚のお燈明が玄関まで飛んだと聞いた。
でも揺れの影響はそれだけで、被害はなかった。

被害といえば、やはり婆ちゃんは、
「大正四年の大水で、台所のすぐ下まで水が来た」
とも言っていた。
しかしこれは婆ちゃんの勘違いで、調べてみると、大水が出たのは大正六年だったことが分かった。
Wikiには、以下のように記されている。


大正六年の大津波

9月30日 - 東京湾で「大正六年の大津波」と呼ばれる高潮水害が発生。東京の佃、月島、築地、品川、深川地区が浸水したほか、市川、船橋など千葉県の東京湾岸一帯に被害を及ぼす。

関東大水害とも、大正の大津波とも呼ばれる
千葉県浦安町は全町が水没した。江戸時代を通じ、幾多の水害をくぐり抜けてきた行徳塩田も、当水害で塩田の堤防が完全に破壊され、東京湾で行われてきた数百年の製塩業の歴史は事実上幕を閉じた。
1917年9月30日、沼津付近に上陸した台風は、関東地方から仙台方面へ移動する中で各地に集中豪雨をもたらした。東京湾接近時には、折しも満潮の時刻と重なり、深川や品川で高潮が住宅地に押し寄せ500人以上が溺死した。また、横浜港でも3,100隻以上の船舶や艀が風浪により転覆、多数の沖仲仕や水上生活者が犠牲となった。同港が日本の経済活動の要所であった時代だけに、日本全体の経済活動も大きな打撃を被ることとなった。死者・行方不明者数1324人、全壊・流出家屋約36500戸、床上・床下浸水約30万3000戸。1910年の大水害とは異なり、沿岸部での高波による被害が目立った水害となった。



今回の震災で、浦安などの液状化がクローズアップされたが、それはあくまで埋め立て技術がまだ確立していなかった頃の、脆弱な地盤が原因だった。
また、生活インフラとして当然であるべき地盤改良の不備も災いした。

ネットで画像を探したら、明治43年当時の上野周辺の写真を見つけた。
画像


今は堤防も立派になって、隅田川はもちろん、その隅田川に流入する中小河川の護岸工事も水門も整備された。
それでも台風や高潮、地震による津波に、一体どこまで耐えられるかは分からないが、東京全体を巨大な城壁で囲むわけにもいかないだろうから、自然界の怒りは甘んじて受け止めるしかない。


画像
そんなことを考えながら、昼なお暗い実家の一階で、買って来たケーキを食べた。
婆ちゃんの言葉を思い出していたのだが、大水の時にはすでに嫁に来ていたわけだ。
家もそれから改築していないと聞いた。
500円で建てたとも聞いた。
いったいいつのことか分からないが、もう100年以上は経っている家ということになる。
当時の貨幣価値として、いくら何でも500円は高いだろうと思うのだが、そう聞かされているので真実は不明。

昔は今の三倍の敷地があったらしい。
おそらく七代か八代前のご先祖さまだろうが、博打で負けて土地を取られたとも聞いたことがある。
もちろん江戸の御世だが、何とも大らかな時代だったようだ。

これからもこの家を守って行くことが私の役割なのだが、いつまでもこのままにして置くのも現実的ではないだろう。
土地だけ残して、家はどこかに移築することになるかも知れない。
立派な古材の梁を無駄にするわけにもいかない。
そうなれば、放射能汚染の心配がない適当な土地を探し、終の棲家としてそこで老後を送ることになるのだろう。
もう「老後」は目前なのだが…。
それまでは、ツッパリくんに頑張って貰おう。



画像

外は明るい。
隅田川は静かに流れ、今のところ、人間に牙をむく気配はない。
中央大橋の奥に、スカイツリーが見えた。
あの辺りも地盤が低いから、大水が出た当時は大変だっただろう。

はてさて、我が実家は古民家なのか、それともただのボロ家なのか、またそんな思考の迷路をふらつきながら、帰宅の途についた。



"がんばれツッパリくん" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント
2020年01月
         1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31   

過去の記事

テーマ別記事

最近のコメント

QRコード