見果てぬ夢


今年もあと一週間で終わる。
終わればまた新しい年が始まる。
当たり前のことだけれど、その当たり前の間隔が狭まって来た。

去年の今頃は、親友の入退院が繰り返されて、忙しい年末だった。
あれから一年が経つ。
何故、そんなにも早く逝ってしまったのかと、相変わらず嘆きはするが、一年がこうも早く過ぎてしまえば、早く逝くのも遅く逝くのも大差ない気がする。


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一攫千金を夢見る人が、今年も数寄屋橋で行列を作っていた。
買うのは「夢」であると分かっていても、夢を持つことは人間としての存在証明だ。
人間以外の生き物は、決してギャンブルなどやらない。


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日劇が壊され、マリオンが登場し、テナントが替わり、時代はどこか分からぬ方向へ流されて行く。
これも見果てぬ夢の、終焉の一形態なのか。

クリスマスイヴの日に、独り繁華街を歩く孤独。
駆け足で過ぎようとする今年以上に、来年はもっと早く時が過ぎそうだ。
それでも、早い遅いの違いを意識することが、年と共に意味のないことに思えて来た。
夢に依存して生きるのか、生きるために夢が必要なのか。
また少し、人生が曖昧になって来た。
この「曖昧」とは、いま生きていることが不幸中の幸いなのか、幸い中の不幸なのかが分からないということだ。

啄木のように手を見たら、二本の指だけ、爪を切り忘れていることに気付いた。
なぜだか理由が分からない。
それでも、覚えることよりも忘れることの多い方が、まだこれからを生き続けるには都合が良い。
そう考えることにした。
現実は現実として存在するが、夢の中で生きる現実も必要だ。
自分の避難場所は、そこにしかないのだから。


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