勝鬨橋


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古い衣類を整理しようとクローゼットの奥の服を引っ張り出したら、ポケットにUSBメモリが入っていた。
試しにPCの穴(笑) に挿し込んだら、古い画像が保存されていた。
プロバティを見ると、写したのは2008年12月6日とある。
ちょうど10年前だ。

築地市場の岸壁に接岸している船も見える。
ブログにしようと企んでいたのだろうが、そのまま失念したらしい。

月島で生まれ育ったちびっ子の頃、母に「今日は○○時に開くよ」と教えられたが、勝鬨橋の開閉は何度も見ているので関心はなかった。
そのくらいで、今となっては他に書くこともない。

画像は10年前のものだから、当然、隅田川最下流に架かる築地大橋(だっけ?)もナシ。

築地市場と改築前の歌舞伎座の画像もあったので、(気が向いたら)次回はそれらの画像をアップしましょう。


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そうか、この人の在任中に重文指定されたのか。
指定に尽力したのだろうか。
揮毫の必要はあったのだろうか。

以前、永六輔さんの著書から気に入った文を引用したことがあって、関係ないけど何となく再掲して置きましょう。

三方五湖の遊覧船でさわやかな話をききました。
久々子湖、水月湖、菅湖、三方湖、日向湖の五ツの湖は、それぞれつながったひとつの湖でもあるわけですが、久々子湖と水月湖をつなぐ人工水路が浦見川。
三百年前に時の奉行行方九兵衛が、延二十二万人の農民を動員して二年間かかって掘った運河です。
左右から岩壁の迫るこの浦見川が完成した時に、奉行はその岩の表面に自分の名前を彫ろうとしてました。
その為に岩を平に削り落したのですが、それを聞いた奉行の母親が、「お前のやったことが立派な事であれば、わざわざ刻まなくても、その名は末代まで語りつがれて残るだろう」といい、奉行はその言葉を守ったのです。
だから字を刻む為に平らにした部分は、そのまま苔むしています。
今日、橋をかけ、道を工事する度に石碑に名前を彫りこむ政治家諸氏は悪い母親に育てられたといういい証拠なのです。


そう言えば築地市場を汚染土壌の上の豊洲へ、との言い出しっぺもこの人でしたね。
豊洲市場の目立つ場所にプレートでも出来れば喜ぶでしょう。
(それは構わぬが、自費でお願いしたい)


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※ 撮影日 2008年12月6日


この記事へのコメント

美代子
2018年12月05日 14:36
 隅田川は、都民にとって特別の川ですよね。いろいろな唄が作られて愛されています。多摩川と共に東京の大河と言ってもいいのではないでしょうか。戦争時の辛い思い出もありますが、情緒豊かな特別の川ですよね。これからも愛されていくのでしょう。時雨亭さんは生粋の東京っ子なんですね。「妻は湯たんぽの代わりになる」っく~。しびれました。名言ですね。強い愛を感じました。うらやましい。
時雨亭
2018年12月05日 21:32
 父が若い頃はこの辺りで泳いだそうで、白魚も獲れたと聞きました。下水道も未発達の時代に白魚云々はにわかには信じられないのですが、若い人たちが隅田川で泳いだのは町の古老たちも語っているので確かなようです。今ならすぐに通報されるでしょうね。高度成長期の汚れはすさまじく、私はそちらの方が強く印象に残っています。土左衛門を竿で手繰り寄せて回収する水上警察も二度か三度目撃しました。それでも十代のほぼ二十年間は常に隅田川がありましたし、荷風や万太郎俳句の江戸情緒に心地良さを感じていました。川端もずいぶん変わり、夏は川沿いのテラスで川風を袂に入れるのも爽快です。多摩川もいつの間にか身近な川になりました。元気があれば、河口までチャリで往復してやろうと野望を擁いています。隅田川と違って、こちらはサイクリングロードが整備されているので楽しめるでしょうね。
 で、話は変わって、無口で小食で美人で聡明なら、私は妻に100点満点をつけるでしょう。元来独りでいるのが好きなので、孤独死の心配さえなければ独りで居たいです。悩ましいところですね。でも選択の自由がありません。すごく不自由です。敵も同じ思いでいるようです。適度の緊張感(拙宅は極度の緊張感)を保つのが長続きする秘訣のように思えます。とにかく頑張りますっ! って何を?・・・。(笑)