俳句に不向きなわたくしである


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夕立が通り過ぎると、小さな町の小さな神社の秋の祭礼で、数軒の夜店が出た。

金魚すくいの店が目立っている。
幼い頃から不器用で、懸命に挑戦したものの、ポイを何度無駄に消費したことか。

テキヤの親父さんが憐れがって一匹くれたが、子供ながら、いたくプライドが傷ついたことを覚えている。

その金魚、大切に育てると大きなフナくらいに成長して手に負えなくなり、そこそこ大きな水槽の中での動きも窮屈そうだった。

当時、まだ小学六年生だった兄がどこかへ放流しに行った。

どこに放したかは不明だが、おそらく兄がよく忍び込んで遊び場にしていた清澄庭園と想像する。

和金であって、特定外来生物ではなし、それで正解だったのだと思う。


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昔の夏は金魚売りや風鈴売りを見掛けることがあって、重そうなリヤカーを牽くおじさんは汗まみれだった。

今にして思えば季節に密着した風物詩であり、昭和30年代への紛れもないオマージュである。

それが幾星霜を経て郷愁に純化し、ある年の夏から秋に三ヵ月の入院を強いられた時、属目ではない、あくまで空想でさまざまな俳句を詠むようになった。

およそ30年前に作った、その時の句がある。

ひとすじの水こぼし過ぐ金魚売

まぎれもなく、この光景を目にしたことがある。
今になって、炎天に重いリヤカーを牽く商売はどんなに辛かったろうと同情するのだが、懐かしい情景がありありと浮かんだ。

それから何年も経って、類相(類似)句が存在することを知った。

金魚売水を零して去りにけり   星野麦人

わずか十七文字の世界だし、俳句に親しむ人も多いから仕方ないとも言えるが、私の発想力、表現力とは所詮この程度のものかと、身の程を知った。

古語や漢語を多用して、さもベテランのように装うのも恥ずかしく小賢しい行為だし、なるべく平易な表現での作句を心掛けていた。
しかし平易は平板と常に同衾しており、限界を感じてしばらく作句から遠ざかった。

そしてまた数年後、同じような経験をした。

冬耕や鍬に当たりし石の音

冬の畑でトラクターが天地返しをしていた。
鍬などは使っておらず、これもまた空想の中の連想である。
ところが昭和八年のホトトギスに、以下の句を見つけた。

秋耕や石食む鍬の音したり   稲垣正月

俳句初心者には、きっとこのように類相句を作ってしまった経験は多少はあると想像する。
プロを目指すわけでなし、その経験の積み重ねで、やがて独自の世界観を表現するには道のりが遠すぎる。

と書きながら、私の駄句はともかく、この類相(類似)句が他にも存在するか否か、少しだけ調べてみた。
あった…。
以下の句である。

冬耕や石を噛みたる鍬の音

作者のお名前も載っていたが伏せる。
それ以上は調べなかった。

これまでの私は、今迄におよそ千句ほど作ったが、調べればいくらでも類相句が見つかるだろう。

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このところのDIY疲れか、足腰が思い通りに動いてくれずに難儀している。

両手を腰に当てて上体を反らせると、鳥居の上に月齢 8.4のおぼろ月が出ていた。

郷愁ではなく、なぜか旅愁を覚えた。
月には、決断を促す魔力や呪力があるように思える。

10日ほど、遅い夏休みを取ることに決めた。
ほぼ衝動で、これすべて月のせいである。

ネットで宿を二ヵ所決めた。
三泊目からは朝の気分次第で、その日の予定を考えよう。

温泉、神社仏閣、登山、高原キャンプ、海水浴もいいし、食事だって肉食より魚食にこだわりたい。

おそらく高速で長距離を走ることになるだろうから、タイヤの空気圧も若干高くしなければ。

さあ、これから旅支度である。

旅行中は、ストレスになる作句などからは遠ざかろう。

月よ俳句に向かぬわたくしがゐる

句またがりで山頭火が作りそうな雰囲気だが、十七音に収まったのは僥倖である。
しかしこれは俳句ではなく、短詩の類や単なるつぶやきだろう。
季語があって十七音でも、俳句であるとは限らない。

小主観の下手な作句で時間を浪費するより、名句や名歌を鑑賞する方が、どれだけ心穏やかになるだろうと思う。

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