「昭和1ケタ生まれとして」 永六輔


早いもので、今日は永六輔さんの一周忌です。
VHSのビデオテープに、1999年1月に放送されたNHKの「視点・論点」が残っていました。
永さんの言葉を、忠実に文章に起こしてみました。



    「昭和1ケタ生まれとして」  1999年1月11日放送


永六輔、生年月日は1933年、昭和8年4月10日生まれです。
この昭和8年というのは、昭和1ケタというふうに言われます。
昭和1ケタ族というのは、調子がいい、悪知恵が発達しているというような言われ方をするんですが、ま、知恵はあるような気がします。

さ、みなさん、松の内も離れてですね、お手元に年賀状のある方、まだ年賀状を出していない方、ぜひ旧暦元旦でそれを出してください。

旧暦元旦は、今年は2月の16日です。
2月の16日に旧暦元旦として、改めて年賀はがきを出しますと、まず目立ちます。
目立つ、というのも昭和1ケタは好きなんですね。
目立つだけじゃないんです、知恵があります。

15日に、お年玉はがきの抽選会があります。
抽選会で当たったのは自分で取ると、当たったのは自分で商品を換えてですね、ハズレたので出すという、こういうところが昭和1ケタの知恵の発達しているところなんですね。

で、その知恵が発達している、調子がいい、目立ちがり屋だ、昭和1ケタはよくそう言われますし、言われてみると、あ、そうかなと思うときもあるんですが、今日の昭和1ケタは、もう一人の昭和1ケタ、野坂昭如さんのお話をしたいと思うんです。

画像野坂昭如さんは昭和5年生まれです。
我々昭和1ケタは戦争のときにですね、子供でした。

学童疎開が永六輔、あるいは学徒動員、学徒出陣と続いていくんですが、それでもまあ、はっきり言って子供でした。

ですから戦争ということになると、僕は子供だったから、という逃げ方をしてしまって、なんか責任がないようなことになっている。

これを野坂昭如さんはとっても違うと、このお正月に僕は呼び出されまして、絶対に違う、子供は子供として戦争を受け止めたんだから、その今の子供たちにその戦争体験を語り伝えていこう。

戦争中、我々は子供だったから何も知りませんでした、というだけではなくて、いかに恐ろしかったかっていうことを伝えていこうということを、野坂さんと相談しました。

ご存知のように野坂さんは、作家という部分では戦争の童話をたくさん書いてらっしゃいますし、代表的なものにはご存知のように「火垂るの墓」というのがあります。

画像妹さんを戦争のさなかに飢え死にさせてしまう、しかも自分の腕の中で、抱きかかえてる妹が息絶えてしまうという大変な経験をしてらっしゃいます。

で、その経験から見ても、子供は子供なりに戦争ってものを恐ろしく感じていたんだから、そのことを子供たちに伝えていこうと、僕はこう言われて本当にその通りだと思いました。

僕は学童疎開ですが、その学童疎開を妙に懐かしんだり、あるいは学童疎開のつらさというものを、わざと忘れてみたりしたことがあります。

でもそうではなくて、子供は子供なりに、あの戦争の体験を伝えなきゃいけないんだ、というのが、今日お話ししたい昭和1ケタの思いなんですね。

と言いますのは、戦争をぜんぜん経験していない世代、つまり若い世代の中から戦争を正当化する、あるいは、あの戦争は立派な戦争だったんだ、ということを言ったり書いたりするほうが売れたりする、これはやっぱり違うと思います。

もちろん明治大正を生きて、戦争の悲惨さを身をもって受け止めた方、つまり敵を斃した方、あるいは敵に斃された方たち、そういう方たちの体験とは違う子供の体験ではあっても、子供は子供なりに生死の中をさまよい、特に沖縄のみなさんは同じ昭和1ケタでも違うと思うんですね。

つまりその恐ろしさを今の子供たちに伝えていこう、これは野坂さんがおっしゃる前に、僕は僕なりにとても怖い話を体験したことがあります。
それは子供たちにですね、おじいちゃんおばあちゃんに戦争体験を訊きなさい、という話をしたときなんですが、それぞれ、おじいちゃんおばあちゃんに、どんな戦争だったのか、どういう思いをしたのか、たくさんの子供がたくさんの答えを聞いて来ました。
その中の一人にですね、

画像 「うちのおじいちゃん、日清戦争、勝ったんだって」 
「うん、まあね」
「日露戦争も勝ったんだって」
「まあ、日本海海戦ていうのはそうかな」
「それから中国にも攻め込んだんだって」
「うんまあ、そういうことをしたんだ」

で、そのうちに子供が言うにはですね、
「アメリカと戦って、広島と長崎、そして沖縄、ここで負けちゃったんだ」
ま、それはそういうふうに捉えることは致し方ないと思いますけれど、そのときの子供のセリフがですね、
「三勝一敗っていい成績だと思う」
と、こう言ったんですね。

三勝一敗、サッカーの試合じゃないんですよ。
その戦争をですね、三勝一敗だからまだ行けるか、つまり四勝一敗にするか、みたいなね、そういう考え方が子供の中に何となく埋め込まれて来ているこの最近というのを、我々も子供だった戦争時代をですね、振り返って子供なりに戦争がどうつらかったのか、戦争ってどんなに虚しいものなのか、これをですね、思い起こして子供たちに伝えていきたい。

ですから、野坂さんは当時中学生でした。
ですから今中学生に僕は語り伝えていきたい。

で、その言葉を受け止めて、じゃあ僕は小学生に語り伝えていこうと、こんな約束をしたんですが、その他にも昭和1ケタで調子がいいとか目立ちがり屋だとか、あるいは知恵はあるけれども、というような言葉に、昭和1ケタがまみれておりますが、その昭和1ケタのみなさん、ご覧になってらっしゃる昭和1ケタのみなさんも、ぜひ子供のときに経験したその経験を今の子供たちに伝えていくっていうことを、していかないと、本当に三勝一敗という認識であったり、戦争というものがですね、どこかで美しくされている、そのことがとても危険だと思います。

画像野坂さんが言うには、戦争に加担してはいけない、戦争にかかわってはいけない、戦争を支持してはいけない。

我々の言えることは、とにかく戦争とはかかわるのはよそうと、別の言い方をしますと、クリントンがイラクにミサイルを撃ち込む、そのときに日本の政府がそれを支持する、これは戦争を支持してることなんですね。

そういうことは許すのはよそうよと、昭和1ケタ、我々子供だったときに、子供だって生死の間をさまよって、戦争というもののつらさを感じたんだから、その感じた戦争のつらさをそのまま同じ世代の子供たちに伝えていくことだったら出来るんじゃないかと。

あの野坂さん、「火垂るの墓」の作者の野坂さんがこのお正月にですね、「今年からはそれをしたいから、一緒にやろう」ということで、僕は学童疎開仲間の小林亜星さん、あの作曲家の小林亜星さんと野坂さんと永六輔で、取り敢えず三人でですね、「世直しトリオ」なるもので、歌ったり、語ったりしていこう、で、これを増やしていこうと、トリオじゃ駄目なんだ、世直しをする昭和1ケタの世代のみなさんにですね、ぜひ戦争にかかわるのだけはやめよう、ということを子供を通して伝えていこう。

一方で大東亜戦争は正しかったという考え方、これは戦後からも、どっかにある考え方なんですが、正しい正しくないの問題じゃないんですね。
絶対に戦争って虚しいっていうことを、子供たちに植え付けていかないと、かえって子供たちが戦争に憧れ、あるいはスポーツと同じようにして、三勝一敗ならいいじゃないかという、この感覚でですね、いつの間にか昭和1ケタがつらい思いをした、あの子供時代をですね、せっかく、せっかく戦争体験をした子供時代をもう一回子供たちに伝えていく、僕はこのお正月の野坂さんの話にとても感動しました。

それは野坂さんは、全部が全部っていうことはないんですよ、歌ったり悪ふざけもしたり、色々したりします。
だけど野坂さんの腕の中で亡くなった野坂さんの妹さんのことを考えると、本当に、本当に、あの妹の死、腕の中で妹を死なせてしまったという戦争体験というもの、それはですね、僕らが学童疎開でどういじめられようが、どういうふうに差別されようが、でもそれをですね、今、あれは子供だったからわかんないとか、あれは子供時代のことでしたから、しっかり理解できないってことじゃなくて、肌で感じたことは、肌で感じさせる何らかの手段をもってですね、それは言葉であったり、写真であったり、歌であったり、色々、何でもです。

あらゆるものを動員して、昭和1ケタのみなさん、もちろん明治大正のみなさんもそうですが、昭和1ケタのみなさん、戦争中、僕らは子供時代だったから、だから僕たちには責任がありません、というのはやめましょう。

僕は実はそれを去年まで言ってきました。
僕、子供でしたから、つらかったけどさびしかったけど、でも僕、子供でしたから、子供でもね、ちゃんと世の中はわかっているはずです。
子供でも戦争のつらさはきちんと身に受け止めたはずです、受け止めたんです。
それはもう絶対に思い出せば、そういうことがよく身に沁みてわかっています。

画像野坂さんの「火垂るの墓」を読み直すことも含めてですね、昭和1ケタがもうごまかさないで、本当に戦争にかかわるのはよそう、戦争を手伝うのもよそう、どっかの戦争を支持するのもよそう。

とにかく戦争は嫌だってことを言い続けていくことが、昭和1ケタの、残りの、長くないですよ、昭和1ケタはもう、残りがもう少ないんですから、その少ない残りを、それだけを言い続けていきたい、野坂さんが中学生の前で話をする場面を、僕はこれからも聴きに行こうと思います。

で、僕は僕で同じように小学校時代、当時は国民学校でしたけれども、その当時に自分が戦争をどう感じたのかということを一所懸命思い起こして、どうつらかったか、どうさびしかったか、どう虚しかったかということを伝えていきたいと思います。

ご覧いただいている昭和1ケタのみなさん、もちろん昭和2ケタのみなさんも、大正のみなさんも明治のみなさんも、それぞれの戦争体験を、今あらためて嫌だという思いで伝えていかないと、どこかこの国には戦争をしてもいいというような雰囲気が流れ始めている、それはとても怖いと思います。

せめて昭和1ケタは子供だったんですから、子供たちに再び戦争を、ということのないようにしたいと思います。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 7

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

2020年01月
         1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31   

過去の記事

テーマ別記事

最近のコメント

QRコード