靴裏に都会は固し啄木忌


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若い頃は山登りでずいぶん足を酷使した。
しかし山道は平気でも、階段などの上り下りは堪える歳になった。

おまけにコンクリートやアスファルトの路面は膝に来る。
都会で暮らしていれば仕方ないことだし、それが当たり前になっている。
それを受け入れないと日常が成立しない。

だから食を減らし、体を軽くしようと考えたのだが、意識せずとも体重が減少傾向にある。
食が減れば体が軽くなり、健康体にも近づいた気がする。
慶賀の至りである。

三食きちんと食べましょう、などと言われても、空腹感がない状態の食事は楽しくないし、これこそ無駄飯じゃないのかと思う。

体重が減れば、いつか介助される側になっても、少しだけヘルパーさんが楽できるだろう。
介助する立場にいて、そう思う。

食道楽でも着道楽でも色道楽でもないから、あてがいぶちでも気にならない。
ならば道楽は何かと自問すると、読書だったり人混みを避けた寺や美術館巡りだったり、他人様に迷惑の及ばない趣味しかないのだ。
世間の端っこで生きるには、丁度いいと思っている。

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靴裏に都会は固し啄木忌   秋元不死男

不死男は昭和52年に75歳で亡くなっている。
この句を詠んだ年代はわからない(調べればわかるのだろうが面倒なので調べない)が、実際その通りだなあと思う。

勝手な憶測で書くが、東京は高度成長期にどんな路地でもアスファルトなどで舗装され、足裏には意地悪くなくなった。

きっかけは昭和39年の東京オリンピックだった。
その時期の公共インフラのツケが、現在の多額の財政負担になっているのは周知のこと。

不死男の文明批評と採るのは深読みに過ぎるだろうか。
今年は啄木没後105年、不死男が亡くなったのは啄木没後60年。

意味はない。
意味はないけれど、100年以上も前の東京や函館で、望郷の歌を詠んだペシミストの複雑な心の襞を想像する時、「かなし」や「泣」などの形容詞や自動詞が多用された背景までが浮かび、共感を突き抜けて、感情は現実の酷薄さや諦観の深みにはまり込んでしまう。

戦前から戦中にかけて言論弾圧により投獄された不死男だが、戦後の社会も不死男には冷たかったのか。
だからこその、「靴裏に都会は固し」なのだろうか。

三行詩を「定型」と決める以前の啄木の望郷の歌が遺っている。

何時になり何歳にならば忘れえむ今日もおもひぬ故郷のこと

東京にしか故郷がない私でも、この歌が沁みるのは、東京が確実に住みにくくなっているからではないか。
27歳で夭折した男の歌は、その倍以上も生きている私を慰撫する。

柔らかな土の感触を、足裏が忘れそうだ。



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