幾つねて春ぞと折りしおよびより身のかがまれる年の暮れかな


寛政三年(1791)に京都で生まれた太田垣蓮月は一人娘ながら幼名を誠と名乗り、すでにその頃から文武に秀でていたという。
評判の美貌だったらしいが、そのために後々まで苦労を背負うことになる。
(この「苦労」に関してはいずれ書きます)

彦根藩士を夫に迎え一児をもうけたものの夭折し、夫にも早くに死に別れてしまった。
そして父とともに仏門に入り、剃髪して尼となって蓮月を名乗る。

やがて手すさびに始めた焼き物が評判を呼ぶようになり、生活も安定した。
手先も器用だったようで、焼き物に自分の歌を雅致のある文字で彫り、それがまた世間に受けた。

ものの本によると、一鍋一椀の質素な暮らしを貫き、余分があればすべて貧しい人々に施して、自分は一銭の蓄えもなく、明治八年の十二月に八十五歳で病没した。

清貧ゆえか、作る歌も素直で優しい内容のものが多い。
タイトルのこの歌も、動乱の幕末から維新後の明治初期まで生き抜いたとは思えないほどに、穏やかに人生を回顧している。

歌意に特段の工夫はないものの、それゆえに読み手のこちら側も素直に受け入れられる年の暮れを詠んだ秀句といってよい。
「身のかがまれる」は、腰が曲がって来た己の肉体の衰えを静々と受容している意であろう。

画像
こちらは長寿の象徴でもある海老を喰らって、どちらかと言えば短命を望んでいる。

曲がった腰を出刃包丁で伸ばされ、海老もさぞ苦しかったろうが、その命はしっかり頂いた。

歌集、「海人の刈藻」の上梓が七十九歳。
これは尼である自分を海女に掛け、その歌を海女が刈る藻の比喩としている。

我欲を排除した蓮月の精神や歌、それらを包括した人生に接すると、私は同じ人間であることの嫌悪感を痛烈に思い知らされて泣きそうになる。

蓮月尼の歌は、私のマイナートランキライザーである。


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