風景には時代の堆積がある


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当時、これほど墓石は林立していなかった。
15年という月日の長短を考えてみる。
もし生きていれば、などと夢想するのは詮無いことであって、事実は願望で歪曲されるだけだ。

桂宮殿下が薨去された。
66歳だという。
ゾロ目の歳は気をつけなければいけないと、誰もがいう。
確かに母は殿下と同じ66歳で逝き、長生きするだろうと高を括っていた父も77歳で逝った。

本来、生きている感触や感覚は非学問的なものであって、自分だけは大丈夫と他者を切り離し、死を異質なものであると排除するのは人間の弱さの裏返しであり、そのくせ、死の概念を心の底に内包している。
だから人間は、目的意識と向上心で荘厳しようとする。
精神を教養で武装するためにである。

しかしその本質は、求めても結局は空虚な諦観に立脚していると、薄々わかっている。
堂々巡り、これが人間の生命本来の軸であって、慰戯に紛らわせても転嫁させても必ず回帰するから、真っ向勝負を挑めば狂気するしかない。
このように死を考えずに避けていることは、人間の実存に違いない。

その生死の実感は、先に逝く人が、遺された人に贈る全幅の知恵であり、平等の確信である。
ところが現実は、不平等を前提としていることが多い。
だから「生」を生きている故に煩悶するのだ。

禅問答に、以下のやり取りがある。
「私の心を落ち着かせてください」
「ならばあなたの心を持って来なさい、そうすれば落ち着かせてあげよう」
心は常にひとつで、不安な心の他に安心する心はない、という解釈で良いだろう。
人間は孤独である。

やはり意識を空転させる堂々巡りになってしまう。
現実と妄想は、無限に交徹するばかりだ。

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墓を造り、納骨したときの画像が残っている。
15年前は、ぽつりぽつりと数えられるほどしか墓石がなく、寂しい場所だなと思った。
それが今は、墓苑を拡張すべく造成中であり、風景には時代の堆積があることを実感するのみである。

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死者はこれからも確実に増える。
自然の摂理は残酷に、そして万人に訪れる。

若くして逝ったせいか、焼き上がった頭蓋骨は大きく、そして硬く、骨壷に納まらなかった。
係の人が、金づちで頭蓋骨を砕いて壺に納めたことを覚えている。

合掌。



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