「ら」


出かけるまでのわずかの時間に、何か軽いものをと、昭和59年に発行された某ドイツ文学者のエッセイを引っ張り出して読んでいたら、ある表現に出くわした。
そこには「しゃべられない」とあった。
世間では「ら」抜き言葉が蔓延し、毛嫌いしていた私も、さすがにいつの間にか平気で「ら」抜き言葉に汚染されてしまっている。
少し大袈裟ではあるが、このブログ内では絶対に「ら」抜き言葉を使用しないよう、こればかりは日本人としての矜持だと心掛けている。
しかし心配になって自分のブログ内を「しゃべれる」や「しゃべれない」のワードで検索をかけてみると、何と二つの記事に「しゃべれる」を使っていたことが判明、あわてて訂正した。
同時に「喋れる」も検索してみたが、こちらは普段からなるべく面倒な漢字を使わないよう、平易な文章を旨としているせいか、ヒットせずに安心した。

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ペダンチックな奴と思われるのが嫌で、地の文は意識的にひらがなを使うことになる。
小難しい漢字や、ひらがなでも充分こと足りるのに、あえて漢字を多用していた若気の至りの愚かさは、ずいぶん前に気づいて卒業した。
そのせいか、文章がさらりとして読みやすいと、一部の人たちからは過分な評価を頂いて恐縮している。
話半分にしても、ありがたいお言葉だ。

近代文学の文豪たちはともかく、現代文学ではひらがな表記が多いことに気づく。
ひとつ例を出すが、以下は私が文章の手本と尊敬する立原正秋の、ほんの一節。

 障壁画について私は知るところがすくない。したがって私はそれを語る器ではないが、感想をのべてみたい。障壁画はかなりみてきているが、なじめないというのが本音である。
 (中略)
 夏だというのに鹿苑寺の境内はかなりの観光客である。むかしの京都は春と秋だけが混んでいたが、いまは季節を問わずに観光客がおしよせてくる。私はみぎわを歩きながら、そうだ、義満と世阿弥とのであいがあったな、と一人の天才能役者をおもいかえした。


文章とは言葉をけずる作業である(耳が痛い)と断定する立原は、私が文を紡ぐ上での永遠の手本であるし、上掲のドイツ文学者も、軽いエッセイではあっても、同様の思いであることがわかる。
肝心なのは、読み手に親切であるかどうかの気遣いなのだと教えてくれる。
要するに、能ある鷹は…、である。
もちろん私は鷹ではない。

それにしても、思い起こせば昔から会話でも「しゃべれる」を使っていたような気がする。
この「しゃべれる」も、本当は「しゃべられる」が正しい語用であることは考えるまでもなくわかりそうなものだが、考えるまでもないからと考えず、完全に思考停止をしていたのだ。
自分で「しゃべれる」を使って、それが当たり前の言葉だと、すっかり思い込んでいた。
顔から火が出る思いだ。

それでも I can't speakや I don't speakの「しゃべられない」よりも「しゃべれない」を使ったほうが、何となくしっくりするのは、正しい日本語から遠ざかっていくようで少し寂しい。
わずか一文字の「ら」を省略して平気な顔をしているよりも、わかる人に対して恥をかくほうが私にはつらい。
しかしこんなことは時代の流れで、もう止めようもないのが現実。
ネットなどを見れば「「ら」抜き言葉が氾濫しているし、それを見て引っ掛かることはいまだにあるけれど、言葉は時代とともに変質していくものだから、逆に「ああ、そんな時代なんだ」と、若者言葉を黙って受け入れるしかない。
同時に、昭和59年とは、そんな遠い昔のことなのか、との思いもある。

遠い昔といえば、日本の古代(平安時代)あたりまで日本人が日常的に使っていた「日本語」は、現代ではおそらく聞き取れないだろうし、現代でも、極端な方言などはわからないことも多い。
それと同じことなのだろう。
むべなるかな。

私が子供の頃のことだから、もうずいぶん昔の話。
年輩の女性が軽くお礼を言うのに、「おかたじけ」という表現を使っていた。
たとえば、タクシーを降りる際に運転手さんに、買い物をして店を出るときに店員さんに、外食でおしぼりを出されたりお水を出されたりのときにウエイターさんに、家ではお茶を淹れてくれたときに家族へと、日常的に使われていた簡単なお礼の表現だった。
これはもちろん武士などが使う男言葉の「かたじけない」からの転移で、幼心にもちょっと乙で洒落た表現だと思った。
今でもそんな言葉を覚えているのは、日本語の粋な表現方法に魅力を感じたからだろうし、「おかたじけ」を使う女性は、おいしいものを食べても「おいしい」とはいっても、「うまい」とは口が裂けてもいわなかった。

何も書くつもりなどなかったのに、ブログを訂正したついでに、この「しゃべられる」に関して、今さらながらではあるが、「ら」抜き言葉について触れてしまった。
さあ、もうパソコンを閉じて遠方へ出かけることにしよう。
男が使う言葉ではないが、何となく口にしてみたくなる。
ここまで読んでくれて、おかたじけ。



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