海辺のスケッチ


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旅行に出る時、気まぐれに持って出たスケッチブックと、コンパクトな水彩絵具セット。

その絵具が、この季節のせいで乾燥してしまい、使いたい色が気持ちよく水に溶けてくれない。
そのために何枚か失敗して、書き直しを繰り返した。

もともとは淡彩を好むから何とか誤魔化し、自らに課した禁じ手の極細サインペンで輪郭を描いて、決して満足ではないが完成とした。

寒風対策として使い捨てカイロを4個ほど服の中に忍ばせ、熱々の缶コーヒーとお汁粉缶をあらかじめ自販機で買っておいたものの、指先がかじかむほど冷えてしまい、今回のスケッチは終了。

川端康成は言った。
「伊豆はあらゆる風景の画廊である」と…。

そんなことはない。
絵に関しては絵画教室どころか、誰の手ほどきも受けていないのだから、絵の素人の出来としてはこんなものだろう。


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大海原を描くには茫漠すぎて手に負えず、かといって、対象物が多すぎても時間ばかりかかって困る。
それでもまだ何ヶ所か小さな漁港を巡った。
無意識に、釣りが出来そうな防波堤を探していた。

三年前に、ある男との約束があった。
「伊豆の海で釣りをしたい」
私は殺生はしないが、彼の強い望みとあれば、同行することに決めていた。

彼が防波堤でリールを投げて当たりを待つ間、私は持参したまな板と出刃包丁を出して、さあいつでも来いと待ち受ける段取りだった。
もちろん、醤油とワサビも忘れてはいけない。
もし獲物の確保に時間がかかるようであれば、私はスケッチでもしながらのんびりする予定でもいた。

ところがその男がいつの間にか行方知れずになり、こうして一人で、釣りに適していそうな漁港や岸壁を探している。


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車に戻り、高台へ移動した。
凪いだ海に、小さな漁船が一隻。
絵になる光景だが、とにかく寒すぎて、もう描く気も完全に失せていた。

周囲に誰もいないことを確認し、風向きを考慮しながら、海に向けて軽犯罪法違反を承知でさっぱりした。
寒いとこれだから困る。

法律に触れた行為をしたのは、10年も前にシートベルト未装着で、待ち伏せていた月光仮面の本官にキップを切られて以来のこと。

軽微な犯罪で逮捕され、実は別件で冤罪の濡れ衣を着せられることもあるから、清く正しく美しく生きなければいけない。

それが当たり前とはいえ、どうも窮屈だ。
違反行為を済ませると、ブルッと体が震えた。


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旅館に入る。
三連休と正月を前に、閑散期ということもあって、予約は簡単に取れた。
ウエルカムドリンクのお抹茶を頂きながら、チェックインを済ませる。

今年ほど大変な年はなかった。
誕生日でも結婚記念日でも盆でも正月でもクリスマスでもないが、一年の締めくくりとして、たまには自分への慰労のつもり。

締めくくるにはまだ10日ほどあって、年末年始も忙しいが、お一人さま慰労会という塩梅。

「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にある」
といったのは三木清だが、それは現象や比喩を提示して見せただけであって、これが格言か名言かは分からぬものの、「だからその結論は?」と訊いてみたくなる。


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部屋から海は見えなかったが、適度に暖房が効いていて快適だ。
仲居さんが消えるのを待って、畳に大の字になってみる。

静寂と、藺草の匂いに陶酔して、つい睡魔に襲われる。
当直明けで来たから眠いのは当然で、30分ほどまどろんでしまった。
まるで時間が止まったようなひと時だった。

人間は誰もが寂しい存在だ。
それは孤独ということ。

でも誰とも交わらず、ほとんど無言でいられるこの瞬間に、実は恋焦がれていた。
仕事の半分は折衝ごとで、毎日必ず誰かとしゃべったり、ゴリ押ししたりの駆け引きをしている。

それが続くと、やがてストレスのようなものが生まれ、積もり積もってその捨て場がないことに気付く。
だから誰とも会話せずにいられる、誰とも会わずにいられる、このひと時が大切なのだ。


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伊豆といえば温泉。
広い浴室を独り占めできる幸せに浮かれながら、湯に体を沈める。
適温で、おそらく40℃か41℃くらいか。
これならばいくらでも入っていられる。

若い頃と違って、本当は体に喰いつくほど熱い湯でも構わないのだが、これは加齢から来る皮膚感覚の鈍さの表れなのだろう。

あまりの気持ちよさに、つい調子ぶっこいて平泳ぎをしてしまう。
だがすぐに飽きるのも、大人の証しのようで、すぐにやめてしまった。

すっぽんぽんでは、泳いでいても何となく安定感がないのだ。
子供の頃は「潜望鏡っ!」と称して銭湯で背泳ぎした記憶もあるが、もう立派な大人だから、そんなことはやらない。

海ではなく、淡水のプールや川で泳いでも「海パン」とはこれ如何に。
昔の海水浴は「潮浴び」といっていたらしい。


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贅沢にも程があるのは重々承知だが、サザエのお刺身やアワビの踊り(残酷)焼きやら、貧乏人がこんな夕食を摂って、バチが当たらないかと心配になる。

飲めないが、冷酒も一杯だけ頂いた。
「月に一度の贅沢だけど、お酒もちょっぴり飲んだわね」
はかぐや姫の赤ちょうちんであって、これは10年に一度の贅沢といっても過言ではない。

ただ、こうしたアワビの殺し方はやはり残酷で、これだけは自分で注文しておきながら後悔した。

以前、白魚やイサザの踊り食いをしたが、その時も、人間とは何と残酷な生き物かと後悔したことも思い出してしまった。

サザエやアワビは確かに美味しい。
美味しいが、そのほとんどは歯ごたえや、醤油やバターの味つけの旨味であって、ならばこんな残酷な食べ方はもうやめよう。

ただし、肝は間違いなく美味しいと思う。
命を頂いて生きているにも関わらず、感謝の気持ちを忘れている。

とにかく、歳を重ねても、まだ学習できない私がいる。
いい加減、目を覚ませオレ。


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金目のお刺身は美味しい。
だが脂が強すぎて、ひと口か二口で飽きてしまう。
その点、甘辛く煮つけてあると一匹丸ごと頂けるので、カレイやブリの煮つけとともに食べていて機嫌よくなる味だ。
別に機嫌が悪いわけではないが、そういうこと。

この金目に限らず、ほとんどの魚介類は地の物だろうから、やはり老後を暮らすとなれば、海や漁港からそれほど離れていない場所に移住したいと思う。

毎日美味しい魚を食べ、適度な運動をして、汗をかいたら温泉で体をほぐす。
そんな老後が待っているとは信じてはいないけれど、空想するのは私の自由であって、その仮想を現実にする努力を怠っているだけだ。

こんなに食べられるかと最初は心配もしたが、終わってみれば、ほとんどを平らげていた。
行方知れずの男にも食べさせてあげたかったなと思う。


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食後にスケッチブックを開いて、何か描こうとしたが、もう何もする気が起きない。
逆に一枚だけ残し、今日描いたすべてを破り捨ててしまった。

今回はうまく気持ちの切り替えが成功したから、絵を描くつもりになったが、東京に戻れば、またいつもの日常に戻る。
多分もう、絵を描くことは、余程のことがない限りは無理だろう。
精神的、時間的な余裕があってこそのささやかな趣味。

スケッチブックをしまい、持参した文庫本をふかふかの布団の中で読んだ。
こんな受動的な趣味は手軽でいい。
そのうちにまた、全身が蒲団に溶けるようにまどろんだ。

部屋備え付けの内風呂にゆったりと浸かりながら、遠く近く聞こえる潮騒に耳を傾けた。
明日はそれほど好天には恵まれないだろう。
それでも今は静寂と孤独が一番の友人。

大浴場では疲れが湯に溶け出たが、内風呂ではストレスが温泉に溶けて出ていくような気がした。
確かに、腰痛も頑固な肩こりも、一緒に流れて消えたらしい。

「どうしていつも肩がこってるの?」
と訊かれ、
「オレの肩こりをナメんなよ」
と牽制していたのが嘘のようだ。

繭の中の蚕のように、静寂と、何とは無しの安心感に包まれて、いつしか夢の中へ落ちていった。


続く。


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この記事へのコメント

ほっこり
2018年02月15日 13:50
時雨亭さんがおっしゃっていた『淡彩画』がこの絵なんでしょうね。じっくり鑑賞させて頂きました。ステキです! 魅力が伝わって来ました。お写真、全部インスタ映えしてますよ。(^_^)v
獅子座
2018年02月16日 00:07
これはデッサン力も彩色も素人ではないプロの技です。
リズムがあってキレの良い文章もプロ!!!
上から目線でゴメンナサイ。
時雨亭
2018年02月16日 19:29
ほっこりさん、こんばんは。
魅力とかインスタ映えとかはわかりませんが、連絡船の絵なんぞより、こちらが私らしい作品?なのであります。
評価していただき光栄に存じます。(^^ゞ
時雨亭
2018年02月16日 19:34
獅子座さん、こんばんは。
横着した割にはそこそこ満足の出来でした。リズムとかキレとか実感ありませんが、お褒めの言葉をありがたく頂戴します。下から目線からアリガトウを申し上げます。
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