私は猫になりたい


画像氷雨降る中、小さなビルの前を通り過ぎた後で、
「あれ? 今のは…」
チャリの後ろカゴに、まったく動かないにゃんこ。
置き物かと思った。

歯医者で治療中のご主人様を、ビルの軒下でおとなしく待っているようだ。
微動だにしないので、軽く頭に軽く触れてみた。
やっぱり本物だった…。
「おい、独りでお留守番かい。偉いねえ」
面倒でうっとーしい奴が来たなとでも言いたそうに、それでも薄目を開けてくれた。
厄介な奴が来たなと思ったのだろう。
また目を閉じ、またそのまま固まってしまったが、尻尾をちょこっと動かしてくれたので、一応、挨拶は返してくれたわけだ。
かなり寒い日だから、早く帰ってコタツで丸くなっていたいだろうに。

それにつけても残念な気持ちで思い返すのは、福島第一周辺の避難区域に、いまだに取り残されている動物たち。
NPOのボランティアさんたちなどが、食糧を置いたり保護したりの活動を継続させているが、犬も猫も、野良化した動物は野生の本能に目覚め、人間を警戒して寄りつかない。
食糧の行き渡らない彼らは、どうやってこれからの季節を乗り切るのだろう。
無人となった町の商店には、缶詰などもそのまま置き去りにされているだろうが、缶切りを扱えない動物たちは、飢えて死ぬだけだ。
短期の一時的避難ということで、人々は町を離れた。
その「短期の一時的避難」が、もう八ヶ月にも及ぶ。
原発の安全対策の不備とともに、事故後の見通しの甘さが、こうした事態を生んでしまった。

偉い人は早々とメルトダウンどころかメルトスルーまで事態が進行しているのを承知しながら、「パニックを回避するためだった」と、大切な情報を小出しにしながら、後付けの詭弁で言い逃れをしていた。
ノアは、洪水を予測して方舟を用意していたのに…。
今は誰もが気付いているけれど、「自然」に想定外はなく、人間が想定外を作り出していたことを痛切に思い知らされている。
ニュース映像ではモザイクがかかっていたが、人間に寄り添わずには生きていけないのに、餓死した動物も多かった。
どんな理屈をつけようと、これは人間によるジェノサイド以外の何物でもない。

数日前のニュースで、避難区域の牛を60頭捕獲し、半数は殺処分にして解体し、それぞれの部位の放射線量を調査すると言っていた。
残りの30頭はそのまま飼育し、内部被ばくがどれほど軽減されるかの実験資料にされるらしい。
ということは、それらもやがて殺処分されるということ。
もともとは、人間が生きていくために、いずれは殺処分される運命にあったから、ニュースとしての注目度は低い。
私はほとんど牛肉を食べないが、亡くなった祖母は、
「お米はもちろん、肉でも野菜でも、そのいのちを頂くんだから、必ず手を合わせて感謝する」
と合掌してから食事をしていた。
祖母の教え通り、食事前には私も軽く手を合わせるが、それもいつしか形式だけの習慣になり、感謝の心を忘れている。
世の中すべての当たり前が当たり前でなくなった今年の大震災、そんな感謝の意識が甦りつつある。

画像顔を近づけると、どうも老猫のようだ。
20年以上も生きる猫や犬もいるらしいが、ほとんどは10年ちょっとの寿命らしい。
頭を撫でても体を撫でても嫌がらずに、薄目を開けて私を凝視している。
哲学的な思索をしているように見えるが、実際はどうなのだろう。
早くご主人様が戻ってこないかな。早く家に帰って、おかかをまぶしたカリカリ食べたいな。お前、目ざわりだから早く立ち去れ、などと考えているのだろうか。
避難区域に置き去りにされた犬や猫に比べれば幸せなのだろうけれど、このにゃんこの幸せがどこにあるのか分からない。
幸せ不幸せの基準は、あくまで人間の主観や思い込みで、にゃんこ自身には、おそらくそんな意識はないのだろう。
今も避難区域に暮らしているだろう犬や猫などの動物は、こんな目に遭わされて、自分はなんて不幸なんだと思っているのだろうか。
それとも、環境に順応して、これが当たり前なんだと割り切っているのだろうか。
しかしそれでも、町中で捕獲されたり、飼い主の都合だけで殺処分される猫は、年間で16万5千匹もいる。

人間やってても辛いことは多い。
いや、人間やってるからこそ、こんなにも辛いのだろう。
数ヶ月前に、NPOにペット用のカリカリや缶詰を送ったけれど、それ一回きりになっている。
置き去りにされたペットたちを忘れたことはないのに、どうしても人間が生きていくための暮らし優先で、自分の中で勝手に優先順位をつけてしまった。
生きるため、生きて生き続けてもらうための順位付けが、無意識のうちに出来あがってしまっている。
おそらくそれが正解なのだろうが、反面、その正解が本当の意味での正解なのかも、こうして揺らぐ時がある。
絶対的な正解とは、いったい何で、それはどこにあるのだろう。

今年も残すところ、あと一ヶ月半だが、天地がひっくり返るほどの苦難ばかりで苦しい一年だった。
残りの一ヶ月半で、それらが逆転することはあり得ないだろうし、長く生きていれば、こんな年もある。
長くても20年程度の犬や猫の寿命。
この辺りが生きるのにちょうどいい期間だと、少し羨ましくないこともない。
動物には動物なりの苦労もあるのだろうが、生まれ変われるなら、原発事故も知らず、不況や経済危機も知らず、政治の無策にも翻弄されることのない飼い猫になって、寝たいだけ眠ってみたいと、チラリ思う。

弱者を守る人はすべてを守る、弱者を守らない人は何ものをも守らない。
それは動物だけではなく、子供たちを内部被ばくから守ることでもある。
大人たちが復旧や復興を考えている間にも、子供たちは現在置かれた環境の中で成長していく。
健康やいのちを大切に思う気持ちがあれば、大人たちの行動は、自ずと決まっていくはずだ。
ところが現実はそうではない。
どこかで何かが間違っている。
どこかで何かが狂っている。
でもその正体が分からない。



   


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この記事へのコメント

きらら
2011年11月19日 16:48
人間は自分の生存権ばかりを声高に主張するけど、他の生き物すべてにだって生きる権利がある筈なのに、それがないがしろにされ無視されるおかしい世の中です。
飼い主さんにとってはワンコだってニャンコだって家族同然だし、励ましたり励まされたりの共存共栄で生きています。
『いずれ書かなきゃ』と言っていた管理人さん、ありがとう。私はこの記事が出るのを待ってました。
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