疲れたけど、もうひと頑張り


ずっと「江戸東京たてもの園」を歩き続けて来ましたが、もう疲れました。
同時に、それをこうしてブログにする作業も同様で、さすがに今回で終わりです。
東京を留守する間に、相棒に頼んで順次アップしてもらって(たぶん順調にいけばの話だけど)いるはずで、今回のアップが終る頃には、私も帰京しているはずです。
PCに向かえない期間くらいは、ブログもサボッてしまってもいいのですが、一度書き始めたからには、なかば意地になってここまで書き進んできました。
これが最後で、あとはしばらくPCから逃れられると思えば、「なんのこれしき」です。
では最後の「江戸東京たてもの園」ネタの始まりです。


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下町ゾーンで残っているのは、この小寺醤油店を含めて、あと五棟。
とにかく、中へ入ります。
まずは説明板からの写しです。


 小寺醤油店は、大正期から現在の港区白金で営業していた酒屋で、味噌や醤油を販売していた。看板で醤油店と掲げているのは、創業者が醤油醸造の蔵元で修業したためと伝えられている。当時、酒屋で味噌や醤油を売ることは珍しいことではなかった。
 1階、2階とも庇の下には、張り出した腕木とその上に桁がのっている。これを、出桁造りという。隣の蔵は、袖蔵といい、在庫の商品や生活用具を収納するためである。
 建物は建築当初を復元している。店舗部分は昭和30年代後半の柄杓と漏斗による量り売りの時代を、住居部分は1990年(平成2)の解体時そのままの状態を再現している。



建築年は1933年(昭和8)とのこと。
では、平成2年当時が再現されている店内を見てみよう。
それでも、もう20年以上も経っていることに、時の流れの早さが信じられない気分だ。

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バブル真っ最中は、酒席に出ればドンペリや高級ブランデーなどが大流行だったが、サントリーのダルマさんも懐かしい。
味噌の量り売りだって、以前は当たり前だった。
それがいつの間にか、スーパーで何もかもが簡単に手に入る時代になった。
ちょっと前(だいぶ前かも)には、お米を買うにも、米穀通帳が必要だった。
確かに懐かしいとは思うのだが、便利で豊かな時代になったというのも、まぎれもない事実。
その代わり、お味噌をちょっと多めに入れてくれるという、商売上のサービスや、それによる馴染みの店は消えた。
懐かしくも、少しだけ寂しい時代とも言える。
そう感じるのは、もちろん人それぞれだけど…。


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醤油蔵と、その中にあった看板。
醤油はほとんどスーパーの特売でしか買わないが、ヤマサ、キッコーマンくらいしか知らない。
いま我が家で備蓄している醤油を確認したら、キッコーマンの丸大豆醤油が3本もあった。
塩分の摂り過ぎには充分に注意しよう。


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小寺醤油店を出て裏に回り、意味もなく全景を撮ってみた。


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続いて隣接する和傘問屋の川野商店。
建物の全景を正面から撮ろうとしたら、玄関先でスケッチか測量図か知らぬが、一心不乱にペンを走らせているジーンズの若い女性がいて、こちらがどう動こうと、ファインダーに入ってしまう。
おそらく、学芸員だろうと見当をつけた。
そこで建物の写真はあきらめた。
だから、例によって案内板の記載を写す。


 川野商店(和傘問屋)は大正15年(1926)に、現在の江戸川区南小岩に建てられた出桁造りの建物である。
 重厚な屋根の造りや江戸以来の町家の正統的特質を継承する格子戸などの造作にこの建物の特徴を見ることができる。
 小岩は、東京の傘の産地として当時有名であって、川野商店では、職人を抱え傘を生産し、また完成品の傘を仕入れ、問屋仲間や小売店へ卸す仕事をしていた。
 川野商店で傘の生産を行っていたのは、明治末から大正5年頃までで、それ以降昭和20年頃までは専ら問屋としての商いを行っていた。
 建物内部では、昭和5年当時の問屋としての店先の様子を再現し、また蔵へとつづく渡り廊下では傘の歴史や製作工程などについて解説している。



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建物横の木戸から入ると、防火用の水を溜める石桶。
私の知っている野川用水は調布にあるのだが…。
どこから持って来たのだろう。


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店舗とは別に、こちらが自宅玄関。


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夏仕様の座敷。
一時間程度でいいから、昼寝をしてみたい。


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次は昭和2年に建てられた植村邸。
パンフでは次の記載。


 建物の前面を銅板で覆ったその姿は、<看板建築>の特徴をよくあらわしています。外観は、全体的に洋風にまとまっていますが、2階部分は和風のつくりとなっています。


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住所を見ると「新富町」とある。
新富町は実家から近いので、昭和30年代まで営業していたのであれば、ひょっとして私も訪れていたかも知れない。
しかし、何を商っていたのだろう。


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遠慮なく、室内を拝見する。
大きな仏壇が目立つが、築地の西本願寺が近いので、たぶん浄土真宗のものだろうと、勝手に推測する。


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建物の構造が分かるように、模型があった。
2階建てと見せかけ、実は隠し部屋のように3階建てプラス屋根裏部屋まである。
もちろん木造だから、現在、このような建築には許可が下りないだろう。
それだけ貴重な建築物といえる。


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裏へ回ると、3階建てであることがよく分かる。
屋根の傾斜も、当時としては斬新なものだったに違いない。


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川野商店の右隣には、復元工事中の乾物屋がある。
あらかた完成し、あとは家具類を配置すれば見学も可能だろう。
土台は新しいコンクリートで造られ、見方によっては新築物件に見えないこともない。
またパンフの文を載せる。


 大和屋本店(乾物屋)
 港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた木造3階建ての商店です。3階の軒下を伝統的な<出桁造り>にする一方、間口に対して背が非常に高く、看板建築のようなプロポーションをもったユニークな建物です。内部は戦前の乾物屋の様子を再現します。



どうもこの「江戸東京たてもの園」は<出桁造り>と<看板建築>の建物ばかりを意識的に集めているような気がする。


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裏に回って1枚撮った。
木造ながら、やはり新築のように見えてしまう。


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川野商店の横に、軽リヤカーを連結させた懐かしい自転車が置いてあった。
このさり気なさがいい。
私の記憶と思い込みでは、このタイプのリヤカーを使っていたのは氷屋さんだった。


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下町ゾーンの最後に見る建築物は「村上精花堂」


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店舗の頭上には「下谷區社會事業協會 正會員」とある。
ここで解説板から転記。


 村上精花堂は、台東区池之端、不忍通りに面して建っていた化粧品屋である。奥の土間で化粧品の製造を行い、卸売りや、時には小売りを行っていた。創業者の村上直三郎氏は、アメリカの文献を研究して化粧品を作ったと言われている。そのせいか、建物はイオニア式の柱を並べたファサードをもち、西洋風のつくりとなっている。この建物は関東大震災後、東京市内に多く建てられた「看板建築」の一種で人造石洗い出し仕上げである。
 1942年(昭和17)頃、村上精花堂の本店が浅草向柳原に移り、この建物は支店となった。
 1955年(昭和30)頃には化粧品屋としては使われなくなり、1967年(昭和42)、二代目の村上専次郎氏により、寄贈者の増渕忠男氏に譲渡された。



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昭和3年の建築で、池之端二丁目にあったという。
現在は上野動物園が二丁目だが、さて、どの辺りに建っていたのだろう。

ここで、高齢の男性ボランティアの方が近づいて来て、盛んに「イオニア式」の説明を始めた。
申し訳ないが、「イオニア式」にはまったく関心がない。
それでも、園内には入園者がほとんど居らず、マンツーマンで拝聴せざるを得ない状況になってしまった。
せっかくのご好意なので、じっと耳を傾ける。
しかし、関心のない事柄は、右の耳から左の耳へと通過するだけだ。
つくづく済まないと思う。
要するに、「イオニア式」とは以下のようなもののようです。

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みなさん、ちゃんと理解しましたね。


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困ったことに、ボランティアの方は、私を建物裏の作業場へと誘い、いろいろと説明をしてくれる。
創業者の娘さんが使っていた香水瓶も、私には何の思い入れもないし、ちょっとだけつらい時間だった。
化粧品の他には、ポマードなども作っていたようで、その空容器などが並んでいた。


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これで「江戸東京たてもの園」の建築物もすべて見終わったと思ったら、すぐ近くの意外な場所に古民家があった。
これは西ゾーンの一番隅に移築されるべき建物だろう。
本当にこれが最後と、中へ入った。
天明(てんみょう)家という、大田区鵜ノ木から移築された、江戸時代後期の豪農の建物らしい。


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説明板に詳しい。


 天明家は、代々、鵜ノ木村(現在の大田区)で村役人の年寄役を勤めたと伝えられる旧家である。ここに移築したのは、約1万平方メートルの広大な敷地内にあった庭園を含む主屋と長屋門、それに飼葉小屋である。正面に千鳥破風をもつことを特徴とする広い主屋には、書院をはじめ、各所で増改築が施されている。また、長屋門という側面に部屋をもつ門、書院前の枯山水(石や木などで川や滝などの水の表情を示す庭)、農作業などに使用された主屋前の広い庭などから、農家としての高い格式がうかがえる。


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平面見取り図を見て、土間から入る。


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ひと口で「豪農」というけれど、その意味や、当時の身分制度までを理解したような気がする豪邸だ。
写真には収めなかったが、居間の囲炉裏では大量の薪が燃やされ、ボランティアの方が二人の来園者を相手に建物の由来を語っていた。


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軒からせり出す茅葺は、何度も葺き替えられて現在まで残っている。

家財道具と呼べるようなものはなく、唯一、以下の写真で、実際に暮らしていたことが実感される。
染め付けの陶製の便器は、豊かな暮らしであった証明のようなもの。

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さて、天明家住宅で見るべきものは本当にこれが最後かと思ったが、まだあった。
上野消防署の望楼である。

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 江戸時代以来、火災の発見には火の見櫓が大きな役割りを果していた。火の見櫓が望楼と言われるようになったのは大正時代とみられている。望楼での勤務は過酷であるため、昭和30年代には塔屋式や煙突式の望楼も造られた。しかし、建造物の高層化や電話の普及とともに、昭和30年代後半から次第に役目を終え、1973年(昭和48)には、都内における望楼の利用はほぼ取り止めとなった。
 この望楼は、上野消防署(旧下谷消防署)で1970年(昭和45)まで使用され、1977年(昭和52)に解体された。



もともとは、大正14年に完成したもののようだ。
関東大震災がきっかけだったのだろう。


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これでやっと、「江戸東京たてもの園」のすべての展示物を見た。
西ゾーンまで戻り、木陰のベンチでしばし休憩。
ずいぶん歩いたものだ。

武蔵野の雑木林を渡る風に、火照った体を背中からクールダウンさせる。
ここで、背後の雑木林の向こう側に何があるか思い出した。
小金井カントリークラブだ。
バブル当時、その会員権が億を越える価値になったことでも有名だ。
私事になるが、当時、しがないサラリーマンだった私の勤める会社は、その景気に乗って急成長していた。
社長は言った。
「こんな時こそ、堅実な経営をしなければいけない」
そのせいで、管理職だった私は、部下たちが週休二日なのに、日曜と祝祭日しか休めなかった。
もちろん、社長の方針だから、給料が大幅に上ることもない。
(それでも基本給は毎年1万円ずつアップしたが…)

前職中にたまたま知り合った専務(社長の弟)に気に入られ、なかば強引に中途入社させられ、二年も経たずに、社員250人がいる中でナンバー7まで昇進した。
(同族会社なので、それ以上の出世は無理)
もちろん、専務の引きもあっただろう。
その期待を裏切らぬよう、周囲から妬まれぬよう、ろくに寝ずに働いた、死に物狂いで身を粉にして頑張った。
ところが管理職になると、社長や常務のお供で商談の席に出ることもあり、上層部が何をしているか、そして何を考えているかが手に取るように分かる。
「こんな時こそ…」
と言っていた社長が、実は裏では株に手を染め、業績がやや傾き始めた。
これはマズイぞ、と専務に退職を願い出たが、毎回引き止められ、やっと退職できたのは、願い出てから1年半が経っていた。
会社はそれから一年後に倒産した。

社長は新規のNTT株を大量に購入し、最高級のメルセレデスに乗っていた。
その運転手もしたことがあった。
こんなことが果していつまで続くのだろう、素朴な疑問をいつも感じてハンドルを握っていた。
売りに出た足立区にある古いモーテルを、居抜きで、10億円で購入した。
その売り上げを毎週、回収に通った。
毎日、札束が舞った。
給料は上がらなかったが、現金のまま、5千万円を会社近くの銀行から、丸の内の銀行まで、独りで何度か運んだこともある。
札束は、あまりにも多すぎると、それ自体が単なる紙切れにしか感じなくなることも知った。

やがて社長は破産し、うまく切り抜けた専務が別会社を設立して社長の座に納まった。
モーテルも、買い値の1/10以下の金額で手放したと風の噂で聞いた。
一時期は2億とも3億ともいわれたあのゴルフ場の会員権は、今、どれほどの価値なのだろう。
そして、社長はいまどうしているのだろう。
同僚の中には、五百万円の中古ワンルーム・マンション購入からはじまり、転売に転売をを繰り返して五千万円を手にした男までいた。
私はバブル期の真っ最中に辞めたので、その後の彼も知らない。

バブルの恩恵にあずかった人の話はよく聞くが、バブル期に何も良いことがなかった私は、当時を冷ややかに思い返すだけだ。
うたかたに消える泡の中にいると、すべてが真実の姿に見えてしまう。
それでも、延々と続く泥沼のような今の大不況よりは、はるかにマシな時代だったのではないかなと振り返る。

さまざまに不便なことは多かったにせよ、「江戸東京たてもの園」を巡り、江戸、明治、大正、昭和と、それぞれの過去を思う時、感傷や郷愁のような感覚だけが今は浮かぶ。

園内を立ち去り、武蔵小金井行きのバス停まで歩いたが、数分後に来るであろうバスを待つ元気も失せ、手を上げてタクシーを停めた。
疲れたが、さすがにもうひと頑張りする気力は残っていなかった。


終わり。


訪問日 2011.7.12




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