江戸東京たてもの園 下町ゾーン


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期待していた下町ゾーンまで来た。
真っ先に目に入るのが、お馴染の黄色い都電。
それでも期待していたほどの懐かしさはなく、私が高校時代まで乗っていた車両は、つい最近のことのように思える。
本当は、クリームとグリーンのツートーンに色分けされた、もっと古い車両だ。
子供の頃は五寸釘を線路に置き、ぺたんこになった釘で、丸を書いたベニヤ板に向けて手裏剣ゴッコをした。
ボディを取っ払って走る花電車も見た。
はて、花電車が運行されたのは、どんな祝いの時だったか…。
そんなことが、脈絡もなく思い出される。


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都電オタクではないので、車両の形式には関心がないが、ちょっと肩透かしを喰らった感覚だ。
しかし懐かしいのは8000形車両で、23系統、28系統が特に思い出深い。
でも自由に車内に入れるので、誰もいないことを幸いと、写真を撮りまくる。
車両自体が軽いせいもあっただろうが、当時はどの線も線路状態が悪く、大きく左右に揺れて、吊革や手摺りに掴まっていないと、必ずたたらを踏んだ。
あの揺れが懐かしい。


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都電を降りると、そこは下町ゾーンを正面に見られる位置だ。
横にはテントを張って、かき氷を売る中年女性が盛んに呼び込みをしている。
周りを見回せば、ほとんど人はなく、私しかいない。
当然、私に向かって大声を上げているわけだ。
この炎天下、客がいなければ、せっかく用意した氷もただ融けるだけで、恨めしいことだろう。
目が合ってしまったが、私はちょっと顔を横に振り、すぐにうつむいて通り過ぎた。
恨まれているに違いない。
でもここでかき氷を食べると余計に汗が噴き出るだろうし、入園者と、ガイドをするボランティアさんは、ほぼ同数…。
かき氷と比較するにはあまりにも重い話だが、一瞬の快楽のために、我が人生、何度火傷をしたことか。


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テント横にあるのが、もとい!
荒物屋の横にテントがあるのだ。
丸二商店は、パンフによれば、


 明治初期に建てられた荒物屋です。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。店内は昭和10年代の様子を再現しています。


荒物屋さんの店内。

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天井を見れば、私の実家とまったく同じ配線。(参照)
でもこちらの方が新しく安全そうだ。


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丸二商店の裏には、長屋風の下町の家並みが再現されている。
下町ゾーンと名付けるだけの雰囲気があって、ちょっとだけ郷愁のようなものを感じる。


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東京オリンピックまでは、こんなゴミ箱が町内の各所にあった。
それがオリンピックを境に、水色のポリバケツに替わった。


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屋内は立ち入り禁止とあるので、一応、ボランティアさんがいるかも知れず、
「失礼しますよ」
と声を出して三和土に立ち、写真を撮った。


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二階にも灯りが点いているので、ふだんは上がれるのだろう。
上ったところで、おそらく一階のように何も調度品はないだろうし、「まっ、いいか」と納得させた。
希望を言わせてもらえれば、願わくは、十代でお下げ髪の吉永小百合さんが、セーラー服姿で出てきて欲しい。
「キューポラのある街」、倍賞さんの「下町の太陽」などを思い出す。
一方で、「貧しい労働者諸君!」
と、寅さんのように呼び掛けてもみたい。

「キューポラ…」の内容を理解するには幼すぎて、北朝鮮帰還運動でサンキチが川口を離れなければならない事情などは分からなかった(当時は誰もがそうだった)が、それでもジュン役の吉永小百合さんが、東野英治郎扮する頑固親父辰五郎の怒鳴り声に耐えかねて、家から飛び出してくる光景が浮かぶようだ。
しかし、それにしてはこの長屋は立派すぎる。

   

今の日本女性で本当にNobleといえるのは、現在の皇后と、吉永小百合さんくらいしか思い浮かばない。
世のサユリストの大半は私の上の世代だが、それでも私は、その末席の隅に置いて欲しい。


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露地を挟んだ隣には、昭和2年に建てられたという花屋さん。
神田淡路町からの移築らしい。


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正確には「花市生花店」という。
二階部分の看板には「FLORIST ナハ」とある。
那覇出身の方が経営していたお店なのかと思ったが、実は「ハナ」なのでは、と気付いた。
右書きと左書きが同居しているのでまぎらわしい。


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店内は昭和30年代のコンセプトで統一。


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座敷に上がることが禁じられているので、わざわざ裏へ回ってみた。


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続いて、やはり花屋さんと同じ昭和2年に建てられた文具店「武居三省堂」
またパンフから抜き書きしてみる。


 明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。建物は震災後に建てられた<看板建築>で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。


前面タイル貼りは見れば分かるので、言わずもがなの内容だが、説明板はもっと詳しい。


 明治初期に創業した文具店である。当初は、筆・墨・硯の書道用品の卸を中心に商売していたが、のちに絵筆や文具も扱う小売店に変わった。広いとはいえない店内の壁には、200本近い筆の入った桐箱が整然と納められている。また、店の下は地下室になっており、そこで商品の荷解きや荷造りをおこなった。
 武居三省堂は、震災後に建てられた看板建築といわれる建物のひとつで、茶色のタイルを全面に貼った表側と、屋根の勾配が途中で急になったマンサード屋根(腰折れ屋根)にその特徴を見ることができる。
 店内は昭和30年代の様子を再現したものである。



なるほどと思うものの、「マンサード」は聞いたことがないし、これからも一生、使うこともないだろうと思うだけ。
しかし、単語としての「マンサード」は覚えた。

寄贈者は「三井不動産株式会社」とあるので、どのような経緯で三井が手に入れたのか、そちらも気にかかる。
まさか、どこもかしこも地上げに湧いたバブル期のことではあるまいな。
以下は店内の様子。

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三省堂の隣には蔵造りの建物がある。

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何気なくぼーっと蔵を眺めていたら、ボランティアの方が近づいてきて、
「これは町並みの雰囲気に合わせて新築した休憩所で、二階では食事ができますよ」
とのこと。


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復元工事中の「万徳旅館」
またパンフからの抜き書きだが、以下の説明があった。


 青梅市西分町に、幕末に建設され、明治初期に増築された旅館(旅籠)で、富山の薬売りなどの行商人が多く利用していました。向かいに建つ川野商店や小寺醤油店などと同じく<出桁造り>の建物で、奥行きが非常に長いことが大きな特徴です。内部は昭和20年代の情景を再現します。


とある。
商人宿で連想するのは寅さんだが、完成した頃にはまた来ることにしよう。

川野商店と小寺醤油店は次回以降に載せるとして、メインの建物である子宝湯へと、下町散歩はまだまだしつこく続く。


訪問日 2011.7.12



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