再訪 江戸東京たてもの園


訪問日 2011.7.12


江戸東京たてもの園を再訪することにした。
JRの武蔵小金井駅に降り立つと、夏の太陽が容赦なく照りつけ、駅前の西友でスポーツドリンクを二本買って、一本はすぐに飲み干し、バス乗り場を探した。
だが、普段から都バス以外に乗り慣れていないので、それほど距離もないので、「ええい、ままよ」と歩くことにした。


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駅前の小金井街道を北に歩くと、「シルクロード五番街」の街灯が目につく。


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のんびり歩いて二十分ほどだろうか、玉川上水に架かる小金井橋までやって来た。
上水は気分を和ませるものの、隣には交通量の多い小金井街道と五日市街道が交差し、上水同様、車の流れにも切れ目がない。
ここまで来れば、小金井公園は目の前。


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やっとたどり着いた。
汗を拭いながら公園に入る。


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日射しは厳しいものの、時折、涼風が頬や首筋を撫でてくれて生き返る。


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SLの静態保存を見つけた。


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近づいてみると、C57の165号機。


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連結されている客車はスハフ32。
柵の中に入って間近で見学できる日もあるようだが、今日は残念ながらその日ではなかった。


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木陰に入ると思いがけず涼しい。
ほとんどが桜の木で、シーズンに周辺道路が大渋滞するのも頷ける。


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江戸東京たてもの園に到着。


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また前回のようにJAFカードを提示して、入園料400円のところ320円で入園させてもらった。
団体割引と同じ料金。
申し訳なくもありがたいことだ。


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園内に足を踏み入れると、江戸風鈴の涼しげな音に迎えられる。
でも炎天下のこと、かなり暑い。


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最初に目に入るのが、通称「お昼のドン」
正確にいうと「午砲」で、案内板には以下の説明が添えられている。


1871年(明治4)9月9日から、皇居内旧本丸で、この大砲により正午を知らせる空砲が発射された。<午砲>による正午の通報は、今の東京都区部の大部分に聞こえ、その音から<ドン>と呼ばれて人びとに親しまれた。江戸時代には、江戸市中に時刻を知らせるため、<時の鐘>を鳴らしたが、明治時代からこの午砲となり、1929年(昭和4)5月1日にサイレンにかわり、1938年(昭和13)9月まで続いた。


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<ドン>の隣には「皇太子殿下小金井御仮寓所跡」の碑があった。
また案内文を載せる。


この場所の西側にあった文部省の建物が、1946年(昭和21)から3年間、学習院中等科の宿舎になった。そのため、ここに東宮御仮寓所が造られ、中等科在学中だった皇太子殿下(現天皇)が住まわれた。その建物は1949年(昭和24)12月に焼失した。


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次に、旧自証院霊屋。
家光の側室だったお振りの方を供養する霊廟。
もともとは1652年に、現在の新宿区富久町に建てられたものらしい。


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絢爛豪華な極彩色に時代を偲ぶことは難しいが、あくまでも日光東照宮のように旧前の姿を保つ方針なのだろう。
都の有形文化財に指定されている。


続く。



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