これで青春は終わったと思ったが


「人間、死ぬまで青春」とはよく聞く言葉だが、とっくに青春は終わっていて、この歳になると、そんなこと自体考えたこともなかった。


今回の大震災で、独り暮らしのお婆さん宅の食器戸棚が倒れ、食器やグラスのほとんどが割れて散乱した。
翌日になって片付けのお手伝いに行き、戸棚を直すことから始めたものの、破片を集めると、かなりの量になった。
新しく食器も揃え、戸棚は改めて耐震ベルトで固定したが、数日後に起こった茨城沖を震源とする大きな余震で、食器が飛び出してまた割れた。

一時期は「緊急地震速報」の連続だったが、どうやら余震も終息傾向。
それでもお年寄りは戦災の記憶が重なり、不安がぬぐえない。
今の日本、どこで暮らそうと安心できる場所はない。
私が見逃しているだけなのかも知れないが、新燃岳も、鳥インフルエンザも、富士宮のその後も、耳や目には入って来ない。

非難されることを承知で言うが、福島の原発に関して最悪のシナリオを描けば、現地だって内陸だって東京だって三陸沿岸だって、汚染の危険度に大差はない。
東京の放射線数値が何μシーベルトに上がったと、微量の変化に大騒ぎするより、今は自衛隊、消防の懸命な作業に敬意を払いたい。
東電や、これまでの原子力行政を糾弾するのはその後だ。

今回の買い溜め騒動にせよ、もし大都市が被災したら、地方では買い溜めに走る人は皆無だろうか。
家族が飢える心配があれば、他人を押しのけてでも燃料や食料の確保を考えるのは当然だし、多少の知り合いなら「どうぞあなたが」とはなっても、赤の他人に譲ることはあり得ないのではないか。
殴り合ってでも、商品を我が物にするだろう。
今の世の中は、力の強い者、声の大きい者、お金を持っている者が厚遇される。

すべての不安が除去され、飢えないことが担保されない限り、誰もが赤の他人よりも我が身を優先させる。
私だって、さまざまな物が総量規制されれば知恵を絞って買い溜めに走るだろうし、限りある手にした物資は、家族や友人知人にしか分けないだろう。
そのためには北海道でも、沖縄へでも出掛けるつもりでいる。
たとえエゴと糾弾されてもだ。
私の一を以て十を語るつもりはないが、捨身の精神が国内に拡がることは断じて無いと思う。

報道を見て、「ああ、可哀想に」とは思っても、ただそれだけで終わる人が大半のような気がしてならない。
義援金、支援物資、ボランティア、メディアを通じての激励メールやファクスは多く見聞きするものの、一体それらの人は国民全体の何%だろう。
史上最高値を記録した円高では、大量の投機資金が円買いに走ったし、小さいところでは、我関せずとばかりに、アフィリエイト目的のブログが多数存在している。
それがどうこうではなく、世の中には多様な人がいるという事実。
これが真実であって、隠しようもない現実だ。

数日前のエントリに寄せられたコメントに、
『冷静になろうよとどんなに訴えようと、我が身や家族が一番大切なのです』
『足りないものばかりを数えながら過ごす人と、そうではない人』
との内容があったが、まさに人間の本音と現実を言い当てている。
人間とは、しょせんそういう生き物でしかない。
救いは『そうではない人』が確かに存在するということだ。
国民全体に比べて、あまりにもマイノリティではあるけれど…。

震災関連の報道とは別に、テレビではお笑い芸人たちがはしゃぐ番組がまたぞろ増えて来た。
非常識だと苦々しく思う人もいるだろうが、避難所でその「くだらない」番組を観て、ひとときの笑いに、過酷な現実を忘れる人がいるかも知れない。
それが慰安や慰撫の役割をしているのであれば、決して非難するには当たらない。
極限の状況に置かれた人は、無意識に現実から逃れようとの思考回路が働く場合があるという。
何もかも規制し、非難ばかりを繰り返すのは、全体主義の匂いがして、日本がこれから歩むべき道を誤るような気がして、逆に不安になる。


食器が割れるだけなら、それほどの被害はないだろうが、ビルが林立する都会では、地震によってコンクリートやガラス片などが四方から落下して来る危険がある。
それでも住宅が崩壊する恐れがあれば、外に出るしかない。
鋭く尖ったガラス片は、防災頭巾を突き抜け、頭を直撃するだろう。
数日前、お婆さん宅で、そんな話になった。

ここで思い出した。
今は使うこともなくなったヘルメットが自宅にある。
それを昨日、持って行った。
いずれ捨てようと思いながら、なぜか捨てずに押入れの奥にしまっていたものだ。

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もう間違ってもロッククライムはやらないが、こいつと共に何度も谷川岳へ通った。
シールには「滝谷」とある。
あのまま岩を続けていたら、「鳥も通わぬ」北穂高岳の滝谷へ進んでいたかも知れない。
そのうちに岩や山よりも熱中することが現れ、結局は岩も中途半端で終わったが、それでも谷川のいくつかの沢の光景がよみがえる。
幸い、墜落や落石に遭うこともなく、今もこうして元気でいられる。
メットによって、若干の安心が担保されていたからだと考えている。

「真っ赤でお洒落ねえ」
気に入ってくれたようだ。
備えあれば憂いなし。
自宅から持ち出した時は、これで青春のひとつが終わったと思ったが、そうではなくなった。
捨てるつもりのメットが、こうして何かの役に立てるのであれば、私の青春はお婆ちゃん宅でこれからも続くのだろう。
ちょっとうれしい。


今日もこれから仕事だ。
さあ頑張ろう。




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