夏の日の思ひ出 白馬岳登山


画像おやぢと白馬岳に行きました。
出発前に、猿倉山荘をバックに写真を撮ります。




画像撮ってやるからと、嫌がる私を撮りやがります。
私、ふてくされます。




画像とにかく出発です。
一般大衆も、続々と入山して来ます。




画像早々と、どこかの大学の山岳部に抜かれます。
山岳部の合宿といえば、定番のキスリングです。
重そうです。
すでにシゴキが始まっているのでしょうか。




画像大雪渓が見えて来ました。
これからが長丁場です。
すでに私は三回目なので、本音を言えば違う山に行きたいのです。
たとえば槍の西鎌辺り…。




画像白馬尻小屋に到着です。
観光客は、ここまで入って来ます。




画像いよいよ大雪渓です。
ここで、登山初心者のおやぢに4本爪のアイゼンを装着させます。




画像私は写真係で、おやぢを撮ります。
本当はさほど必要ないのですが、念のため、私の愛用のピッケルを持たせています。




画像まだまだ先は長いのです。
楽しいことを考えて気を紛らわそうとしますが、それも無理でウンザリします。
逆に、こんな時に限って針ノ木の登りを思い出し、激しくウンザリします。
佐々成政を熱烈に尊敬します。




画像また、撮れと言いやがります。




画像霧が湧いて来ました。
でも、汗をかいた体には、涼しくて気持ちが良いのです。




画像写真を撮ったり休憩している間に、単独行のおねーさんと前後します。
おやぢなんかより気になり、カメラを向けます。




画像大雪渓が終りました。
後続のありんこたちが行列を作って登って来ます。
「おーい、雪崩だぞぉ~」
と叫びたくなりましたが我慢します。




画像小雪渓をトラバースします。
山岳部の若い衆を先に行かせます。




画像小雪渓を振り返ります。
せっかくここまで登ったのに、明日また下ることを思うと、なんだか虚しくないこともないです。




画像また、撮れと言われました。
懐かしのチューリップハットをかぶり、カメラ目線で睨みやがります。




画像白馬岳と白馬山荘が見えて来ました。
もうひと息です。




画像混雑した山荘の話や写真はカットして、早くも翌朝です。
お約束のご来光を見ます。




画像朝日を浴びるおやぢです。
背後に剣岳が見えます。




画像天気も良く、来たコースを下山して、今回の白馬岳登山が終了しました。




私が十代の頃、父と登った白馬岳の写真をアップしてみました。
両親に隠れて山へ通っていた時期ですが、谷川岳に行っていることなども薄々気づいていたようで、心配したのかどうか、連れて行けと言われました。
登山初心者の父に山の魅力を伝えるには、天気さえ良ければ誰もが簡単に登れて安全なんだよ、と理解させなければいけませんでした。
そこで、白馬岳登山になったわけです。
父の体力と脚力を見て、気を遣いながら、父のペースで登りました。
こちらの思惑通り、山の魅力を分かってくれたようでした。

その後、谷川岳の一ノ倉にも連れて行きましたが、こちらは出合い近くにテントを張って一泊、沢を見物しただけでした。
私はいま、この時の父の年齢を越しています。
山への憧れは未だにあります。
でも、岩山や雪山はもう無理のようです。
そんな歳になってしまったということですね。
たまには低山でも歩こうか、といったところです。

最後に、何故この晩秋に夏山の思い出か、というと、今日が父の命日なのです。
脳梗塞で倒れて一年半、病院を転々としながら、父の衰弱していく姿を見守っていました。
介護のほとんどを病院任せにしてしまい、最期まで本当に親不孝な息子でした。
昨日11月11日は 『介護の日』
でも、そんなことを知っている人は、日本人の中でも、おそらく10%もいないでしょうね。
人材不足で、訪問介護の満足なケアプランも立てられない現実を知っている人は、1%くらいかな…。

十代の頃には考えもしなかった多くの「命日」が、次から次へと増えて来ました。
困ったことですが、長く生きていれば、それは仕方のないことですね。
今日は、ちょこっと、父の墓参に行って来ます。


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この記事へのコメント

2010年11月13日 05:13
天空(そら)へ…
そして心の中で
永久に生きる
命の続く限り
貴方と共に
さつき
2010年11月13日 19:33
心の中ではいつまでも親であり息子なんですね。
楽しくて、ちょっぴり寂しいお話でした。
登山には関心がありませんでしたが、難しくない山なら登ってみたくなりました。

山男の復活はあるのでしょうか。(・・?
『私を山に連れてって・・・』
§^。^§ ← 山(に憧れてる)ガールでした。
管理人
2010年11月13日 22:17
いつもコメントをありがとうございます。
久し振りに、しみじみと親父を偲びました。

山男はケーブルカーやロープウェイなどを利用すれば復活するかも知れません。
近場では、高尾山、御岳(奥多摩)、筑波山、大山(丹沢)、鋸山などでしょうか。
極力、楽をして登りたいものですね。
Dr.イッコー
2010年11月21日 22:12
若かりし管理人さんの姿に茶々を入れようと
読み進んでいたのに最後は泣かされてしまいました。

父は私が15歳の冬に交通事故で他界しました。
生意気盛りの私は父の生き方が嫌いでたまらなかった。
魚の行商人だった父は人が良いだけが取り柄で、いつも
貧乏くじを引いているような人でした。
人の顔色を気にし、文句も言わずとても卑屈な生き方
だと面と向かって吠えていた事を思い出します。

大人になったある日、叔父から私が生まれた時に
『この子のために精一杯がんばるぞ』と嬉々として
語る親父の様子を聞かされた時、ハッとしました。

父の年齢に近づくにつれ、精一杯頑張っても世の中
にはどうにもならない事があると今更ながら思います。
私の罵倒を黙って聞いていた父の気持はさぞ辛かった
ろうと不肖の息子は、猛省しております。

貧乏だった生活の中で旅行など行く余裕が無かったが
汽車好きの父は、子供の私に時刻表の見方、楽しみかた
を教えてくれました。
私の旅好きの原点はこんな所かもしれません。
久々に亡き父を思い出させたブログでした。
管理人
2010年11月22日 10:00
もうずいぶん昔のこと、兄がまだ中学に入ったばかりの夜のことです。
原因は覚えていませんが、父と喧嘩になり、「産んでくれって頼んだかよ!」「出て行け!」という展開になって、兄が家を飛び出しました。
兄はどこに行ったんだろうと心配していると、一時間後に、交番の本官に付き添われて、しょんぼりとうなだれて帰って来ました。
後は互いに無言のまま、自然に和解したように記憶しています。
正面から父親にぶつかって行った兄を見て、それからの私は親との適度な距離感を測ることを覚えました。
そんなことで、私にはいわゆる反抗期がありませんでした。
要領が良かったんですね、きっと。

反対に、ドクターの文章には胸が熱くなりました。
親の年齢を超えて、始めて分かることの多さに気付き、驚いたり感心したりする機会が増えましたね。

それにしても、人間は順序良く世代交代して行きますが、高齢者に接すると、男性も女性も、人生の末期には「お母さん」の思い出ばかりを語るようになります。
誰もが母親から生まれたのだから仕方ないことなのでしょうが、父親の存在した記憶が欠け落ちているようで、男としてちょっと考えさせられます。
その意味では、貴重な話を聞けて感謝しています。
でも、突然の事故の報に接した時のドクターのショックを想像すると、身に詰まされます。

時刻表を眺めたり、汽車旅をしながら、亡き父の魅力や優しさを思い出す…。
我々の世代にならなければ気付かないことですね。
ご尊父に反発しながらも、人生の横道に逸れなかった?ドクターの生き方も立派です。
どうぞ、お母様を大切に。
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