一人ランチでの問題点を考察する


誰か連れがいると、外食での料理などは、割と平気で写真を撮れる。
ところが一人だと自意識過剰になって、撮ることが出来ない。
最近は出て来た料理を、デジカメやケータイで撮っている人をよく見掛けるようになった。
ああ、ブログやってるんだな、と思う。
その人たちは、主にお姉さんやおばさんや若いお兄ちゃんだ。
料理、ペット、子供、旅行、これがブログネタの四天王の王道であるらしい。
でも、写真を撮っているところを目撃したり、されたりするのは、何だか恥ずかしい。
ましてや、オヤジとなると尚更です。
一人じゃなければ、平気で撮れるのにね。

でも、たまには王道を歩んでみたい。
というのは、時々、料理の写真を載せたりするんだけど、あまりにも貧乏くさいものばかりだからで、
「コイツ、ロクなもん喰ってないな」
などと思われているフシがあるからだ。
確かに貧乏はしてるけど、わしだってちゃんとした料理を食べることだってあるのだよ。
「どうだ、見たか」
と、さり気なく、いや、シッカリと自慢してみたい。


中華料理のお店に入った。
そして北京ダックと小籠包を頼んだ。
早速、どうだ見たか、の写真を撮りたいのだが、何だか周りの視線が気になって仕方ない。
「あのオヤジ、いい年こいてブログなんかやってるのね」
と思われるのが嫌だ。
別にそんなこと気にしないで、堂々と撮ればいいじゃん、と言われても、そういうわけにはいかないのだ。
なぜ恥ずかしいんだろ?

電車の中で本を開くとする。
その本にカバーをかけるか、という問題がある。
わしは絶対にカバーをかける派で、じゃないと、何を読んでいるのかを知られて面白くない。
(ちゃんと中華料理の話に戻るから、ガマンして待っててね)
面白くないというのは、例えばミステリーだったりすると、
「けっ、いい年こいてミステリーかよ、バーカ」
などと思われるのが癪なのだ。
これが「カモメのジョナサン」や「窓際のトットちゃん」や「一杯のかけそば」や「サラダ記念日」なんぞを読んでいたりすると、
「けっ、いい年こいてんのに、すぐにブームに踊らされて、軽薄なオヤジだな、バーカ」
となるのだ、たとえは古いけどさ。
逆に、カントやショーペンハウエルやアリストテレスやソクラテスなんぞを読んでいると、
「けっ、いい年こいてカッコつけてんじゃねえよ、バーカ」
と思われてしまうのだ、きっと。
冗談ではなく、この歳になると、若い頃には理解できなかった哲学書だって、真面目に読んで理解しているのだ。

最近はマイケル・サンデル教授の政治哲学がブームで、といってもNHKが仕掛けたブームではあるのだが、ベストセラーらしいその本にカバーもかけず、電車の中で読みふける姿を見る。
実は政治哲学がブームというわけではなく、サンデル教授の展開させる講義方法や話術が脚光を浴びているだけのような気がするのだ。
わしは、たまたま初回の放送からすべてのコマを録画して見ていたのだが、ハーバード大の若者は、教授に「君はリバタリアンだ」と決めつけられ、言われた当人も、「そうか、自分はリバタリアンなのか」と思い込んでしまい、対立軸を明確にされ、ディベートさせられることになる。

教授が来日して安田講堂で行なった講義も、同じ手法だった。
共鳴する部分も多く、ハーバードの講義は確かに分かりやすく面白い内容ではあった。
誰でもネットで見られるが、世界中でNHKだけがオンデマンドで課金するセコイやり方をしている。
英語のヒアリングくらいは勉強しておこう。
じゃないと、こんな理不尽で阿漕な商売が永遠にまかり通ってしまう。
本も読んでみたいが、もうすぐBOOK-OFFに大量に出回るのは確実だから、少し待とう。
いや、すでに出回っているようだ。

サンデルブームはあっても、より一層、内容を理解しようと一歩踏み出せば、そこにはカントやアリストテレスなどが欠かせないと思うのだが、単なるブームだから、他の哲学書を手に取ってみようと思う人は皆無だろう。
それでも、哲学した気分に浸れる錯覚が心地よいらしい。
教授の言うように、中国でも講義が出来るなら、かなり面白いとは思う、絶対に無理だけどね。
反日デモがエスカレートして暴徒化し、多くの日本車も壊されたようだ。
そのほとんどは中国の人が乗っていた車だと思うのだが、ああ可哀想に、と思いながら観た。
任意保険は加入しているのだろうか。
加入しているなら、車両保険は入っているのだろうか。
そして、このような場合に、保険は適用されるのだろうか。
他人事ながら、心配になって来た。
「暴徒化」って恐ろしい。
日本では絶対に考えられない行為で、本来、理性あるはずの人間として、その人格の高低や国家の成熟度が分かります。

で、何だっけ?
そうそう、思い出した。
電車内で本にカバーをかけない派の人は、料理の写真も堂々と撮るタイプの人だと思う。
周りに何と思われようが、我関せず、自分のペースを守れる人で、尊敬はしないけど、その度胸に脱帽してしまう。
なるべく目立たないことを旨として生きているわしには、とても真似のできない所業なのだ。

(ここで中華料理の話に戻ります)
出された北京ダックは5切れあった。
「どうだ見たか、わしだって、たまにはこんな贅沢もしちゃうんだもんね」
というところを見せたい。
だけど、周りの視線が気になって、どうしても撮ることが出来ない。
「お前のことなんか、誰も見ちゃいないんだよ、バーカ」
と糾弾されても、無理なのだ。
せっかくのチャンスなのに、困ったことだ。
でも出来ないものは出来ないのだ。
小心者と笑わば笑え。

仕方なく、目立たぬように食べ始めた。
セイロの中から薄皮を取り出した。
この薄皮は生春巻のような米粉ではなく、クレープの親戚みたいな小麦粉の生地だった。
まずお皿の上に丸い生地を置き、その上に八丁味噌のような辛い練り物(たぶん豆板醤の類)を塗り、北京ダック1切れとキュウリとネギを安置して、生春巻のように巻いて食べた。
この摂取方法が正しいのかは分からないが、たぶん正解なのだと思う。
美味いじゃん!
これを撮りたかったのだ。


画像

続いて小籠包である。
この頃には少し落ち着いて、我が心にも若干の余裕が芽生えていた。
デジカメは無理だけど、
(ん? メールの着信があったな)
の小芝居をして、ケータイでやっと撮れた。
箸で突つくと皮が破れて、肉汁がジュワーっと溢れ、それをズズーっとすする。
これが美味かった。
そしてハフハフしながら食べた。
美味さのポイントは肉汁だった。

いったい、溢れたこの汁が「にくじる」なのか「にくじゅう」なのか、正解の呼称が分からない。
変換すると「にくじる」でも「にくじゅう」でも「肉汁」が表示される。
PCも、どちらが正しいのか分からないから、曖昧な処理を行なうのだろう。
ここでまた脱線してしまうのだが、「おこなう」を変換すると「行う」が最初の候補で現れる。
でも例えば、「おこなった」と「いった」では、同じ「行った」となって、文章によっては紛らわしい。
だから当ブログでは、「おこなった」は「行なった」を心掛けている。
ついでに言うと、以前は「わかった」の表記も「判った」で統一していたが、最近はポピュラーな「分かった」に変更している。
そんなことを気にしながら読んでいた人はいないだろうけど、わしのプチこだわりだったのだ。
もひとつ言うと、「できる」の場合、直前に漢字があれば「できる」で、それ以外では「出来る」と使い分けている。
例えば、「納得出来る」ではなく、「納得できる」といった具合だ。
どうでもいいね、そんなこと。


画像

食事が終われば、もうコッチのもんだ。
ジャスミン茶を飲みながら、ゆっくりケータイを見る振りをして、また一枚撮った。
余裕である。
それにしても、久し振りの北京ダックは今までで一番美味しかった。
生れてから今回で二度目、それも25年振りだったけど…。
(ーー゛)


今日は昼からの出勤だから、バカばかり書いてないで、もうやめる。
今からちい散歩を観て、それで出掛けます。
朝昼を兼ねた食事は相変わらず外食だけど、質素に、カレーか親子丼でも食べよう。
いや、北京ダックよりも美味しい、ケンタッキーにしよう!



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この記事へのコメント

さつき
2010年10月19日 16:01
お食事をご一緒しますから、存分に写真を撮ってください♪
『判る』と『分かる』の使い別けは気づいてましたよ。
管理人
2010年10月21日 05:28
じゃ、いつか協力をお願いします。
m(_ _)m
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