竹を活けてみました
訪問先のお宅の庭で竹を伐っていたので、少しだけ頂戴して帰宅しました。
柄にもなく、竹を活けてみようと思ったです。
そして無手勝流で完成?させたのがコレ。
もちろん和室に置きました。
賢者にも愚者にもなれず竹の春 多蘭
以前にも書きましたが、「竹の春」は秋の季語。
そして、ややこしいのですが、「竹の秋」が春の季語です。
これが「竹の子」や「筍」ならば夏。
どうしても春のイメージがあるけれど、地下茎に栄養分を送るだけの、人間からは見えない成長期だから、春には葉が枯れ、続いて親竹も枯れるので、「竹の秋」となるのですね。
要するに、竹の立場からすれば、地上部分を枯らす竹自身にとっての秋が、人間界の春ということです。
ややこしくても、簡単な理屈でしょう。
そして「竹の春」は、言うまでもなく「筍」が若竹から親竹に成長するシーズンで、文字通り、竹にとっての「春」になるわけです。
と、講釈を垂れてみたところで、少しでも俳句をたしなむ人にとっては常識で、言わずもがなの蛇足でした。
無手勝流にせよ、これで室内に生気が戻り、気分だけは上々です。
賢者には程遠い私ですが、「愚者にもなれず」とは、まだまだ年齢に比例せず、時に、血気盛んな悪い一面が顔をのぞかせるので、本当の愚者ではないという、ロジックのつもりです。
駄句に、こんな解説をつけること自体が、すでに嫌味ですね。
ええ、ちゃんと分かっていますとも。
前々回に、能登半島へ旅行した頃のことを書き、駄作曲もアップしました。
今日はその続きです。
半島を時計回りに進み、よく覚えていないのですが、旅の途中に朽ちかけた小さなお寺を見つけ、そのお堂の軒下をお借りして、少しだけ昼寝をしました。
長楊枝こそ咥えていませんでしたが、まるで木枯し紋次郎ですね。
でも、爽やかな風が谷から吹き上がり、気持ちの良いひとときでした。
あのお寺がどこだったか、あのまま朽ちてしまったか、それともまだ存在しているかも、いまとなっては確かめようがありませんが、一人旅の琴線に沁みた貴重な時間でした。

晩夏
晩 夏
広い竹林を流れる風
いくら休んでも疲れる夏
寺の濡縁に ごろりと横になって
もうこれ以上 気に病む必要もないはず
今度やっと 身の程を知り
それなりに 夢が形として見える
これからは 必要とするなら
ひとり残して来た恋人
長い夜を持て余さぬよう
いつも恋人を好きでいられるよう
嘘もつかずに 意地も張らずに
きっと何もかも 思い出に閉じ込めて
こんなに遠くまで来た後で
ずっと待ちわびた夏が過ぎて行く
寂しさの中でも 二人で生きられる
昨日より やさしい二人になれるはず
「僕は君一人のために」
そうありたい僕
僕以上に そうあって欲しい君
何とも自己中心的な考えが、当時の私の行動規範だったようです。
青二才とは、しょせんこの程度の年齢なのか、それとも私だけのことかは分かりませんが、当時のありのままの私が確かに存在していました。
年を重ねて、今はどれほど老成したのかも疑問ですが、あの時の風と、その匂いだけが鮮やかな思い出として残っています。
それにしても、なぜこんなつまらない詩を書いたのか、また曲をつけてしまったのか、いまとなっては理解不能です。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
詠んだのは、三十六歌仙の一人で、百人一首でもお馴染みの、藤原の…???。
下の名前、度忘れしました。
(ーー゛)
でも、古今和歌集の中の有名歌ですね。
風の音に秋の気配を感じ取る、まさにあの時の私の心境と同じです。
俳句ならば「秋めく」の季語が、ピッタリはまりそうです。
もっと色々なことを感じ取っていたはずなのに、日記をつけることはもちろん、当時は俳句もやらなかったので、「秋来ぬと…」の歌をチラッと思い浮かべたことを記憶していただけで、これ以上の追想は不可能です。
かろうじて、この詩の原型のような走り書きをしただけでした。
どうせ、東京に残して来た彼女のことや、今夜はどこで泊まろう、などと即物的なことばかり考えていたのでしょう。
「秋めく」では平凡すぎるので、いま、「竹の春」にこだわって即興句をひねってみました。
方丈の風は谷から竹の春 多蘭
竹の春遠き記憶の風の色 同
破れ寺の軒傾きて竹の春 同
愛や恋などを語る和歌や短歌に傾倒していたけれど、いつの間にか、雪月花を鑑賞する俳句が伴侶となり、今日を生きています。
しばし、活けた竹を見ながら、またプリミティブな駄文で、柄にもないことを綴ってしまいました。
あ、思い出しました。
「秋来ぬと…」の作者は、藤原敏行朝臣でした。
こうして、私は耄碌してしていくのですね。
(ーー;)
竹の秋忘れたきことばかりなり 多蘭

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