京都拾遺 壬生寺


画像  壬生寺を訪ねた。


新幹線の時間まで余裕があったので、朝の壬生寺にお参りした。
とはいっても、わずか五分だけだったから、前回の記事では触れなかった。
今回は、そのわずか五分の間に考えたことを少しだけ記そうと思う。
どうせ私のことだから、他愛ない内容だ。


画像  境内には人の姿もなく、
  寺は静かな朝を迎えていた。


普段からテレビはほとんど観ない。
それがドラマであれば尚更だ。
ところが先日、惰性で「竜馬伝」を少しだけ観た。
新撰組に追われる岡田以蔵を、竜馬が助ける場面だった。
この流れで行くと、脚本は、近江屋襲撃は新撰組によって行われることになるのだろうか。
史実は、京都見廻組によるものと定説になっているが、そこはドラマ、何でもありの世界だ。

毎年恒例の大河ドラマブームで、今年は竜馬が脚光を浴びているらしい。
一方で、新撰組をこよなく愛する人も大勢いる。
実は私もその中の一人で、それはトップページの画像でお分かり頂けるだろう。
私は見ていないが、数年前には大河ドラマの新撰組がブームになった。
すべて、歴史を風景として見るから、このような奇妙な現象が起こる。
いまだに鞍馬天狗も読み継がれているし、その辺りはいかにも日本人らしい。


画像


新撰組隊士墓所である壬生塚は、わずかにまだ開く前だった。
ここには芹沢鴨が眠っている。
年代が下った今でも、悪行三昧の浪士に仕立て上げられているが、元々は新撰組の前身である壬生浪士組筆頭局長を勤め、近藤勇たちと合流したことでも知られている人物だ。
後に、近藤の命によって、土方や沖田らによって粛清された。
せめて墓前に参るくらいはしたかった。
それでも境内を歩くと、近藤、沖田、土方たちが、この場所に立っていたことは紛れもない事実で、それなりの感慨はある。

竜馬を愛するのも自由、そして新撰組に想いを寄せるのも自由。
それがブームと共に両極に振れても、切り取られた歴史の一部分に魅せられることは、史実を正しく学ぶ手掛かりにはなる。
それにしても、ドラマは、事実や史実から、かなりかけ離れた脚本で作られるものだと驚いてしまう。


画像


夜啼き地蔵なるものがあったので、何も知らないまま、説明書きを写真に収めた。


画像  これが「夜啼き地蔵」
  その場では気付かなかったが、
  こうして見ると、
  陽石に見えないこともない。
  (ーー;)


画像  名残惜しいが、
  新幹線の時間が迫ったので、
  急ぎ足で壬生寺を後にした。




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この記事へのコメント

2010年10月04日 17:01
京都へ行かれて壬生寺まで行かれるとは相当の通ですね! 私の小学4年からの学校区に壬生寺が入っておりまして、同級生が界隈に住んでおりました。懐かしいです。
管理人
2010年10月05日 07:58
旧本堂が放火で焼けてしまったのは残念でしたね。
もっとも、私が最初に訪れた昭和五十年代頃の壬生寺はすでにコンクリートで再建され、往時を偲ぶ手掛かりは皆無でした。
それでも附近の町並みは庶民的な商店などもあって、心がなごみます。

新撰組は当時、市中では傍若無人の振舞いが目立っていたとか。
現在も「新撰組」と聞くと眉をひそめる方も多いようで、京都にお住まいの方の印象が気になるところです。
同時に、皇室が江戸に移ったことも、どのように思われていらっしゃるのかも関心があります。

いずれにせよ、京都は日本人の心の故郷、拠り所ですね。
よそ者は、いつまでも変わらぬ佇まいの京都であって欲しいと、勝手に思います。
現在の京都駅は、何度訪れても馴染めません。
無駄に長かった静かな1番線ホームを、懐かしく思い出すことがあります。
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