身延山久遠寺
秋晴れの一日、休みを取って身延山久遠寺に出掛けました。
久遠寺はおよそ30年振りくらいでしょうか。
はっきりとした記憶はないのですが、確か下田の東急ホテルで一泊した後、太平洋側から富士川に沿って北上するドライブの途中でした。
同乗していたのは、母と、私が幼い頃におしめを替えてくれた千恵子さんの三人でした。
(当時は月島に住んでいたので、千恵子さんはご近所だったのです)
時間に余裕があったので、
「身延山でも寄ってみようか」
と提案したところ、千恵子さんが、
「わあ、寄ってくれるの!」
嬉しそうな声を覚えています。
それまで知らなかったのですが、彼女の家は日蓮宗だったのです。
我が家は浄土真宗ながら、別にこだわりなどはありません。
母も、「じゃ、行こう行こう」というので、ハンドルを切って山へ向かいました。
30年振りといっても、それ以前には仕事で何度か訪れています。
今回で、都合10回くらいでしょうか。
(七面山も別に数回、行ってました)
今日は独りです。
目的もここ身延山久遠寺一ヶ所なのです。
平日ということで、参道のお土産屋さんは閑散としています。
この三門も、しっかり記憶していました。
気の遠くなるような石段は登らず、車で駐車場まで上がりました。
本堂はお色直しの真っ最中でした。
お賽銭箱の前面にある蓮の意匠も、埋もれていた記憶の中と同じで懐かしく、お賽銭を奮発しました。
普段よりもていねいに、そして時間をかけて合掌します。
やわらかな小春日を浴びて、境内はとてものどかです。
熱心に境内を歩く千恵子さんの姿が浮かびました。
彼女とは家族ぐるみのお付き合いをしていたので、色々なところへ旅行したことも思い出します。
私が幼すぎて場所は判りませんが、父の運転で山間地をドライブ中に、ラリーレースを目撃したことがあります。
彼女はひと言、
「あ、リラーだ!」
と歓声を上げたことを覚えています。
島崎藤村を思い出せなくて、
「ふじむらとうそん」
と言ったことも覚えています。
今でいう「天然の人」だったのでしょう。
これは確か上州の湯檜曽辺りだったと思いますが、利根川に架かる吊り橋で、父が悪さをしてワイヤーを揺らしたところ、橋の真ん中でしゃがみ込み、泣きだしてしまったこともありました。
ずいぶんひどいことをしたものですね。
それらも懐かしい記憶の断片です。
切妻部分の細工が可愛らしく、思わず頬が緩みます。
鐘の音は聴けませんでしたが、山々にこだまし、里の人たちも耳を傾けるであろう音色を想像すると、その荘厳さはいかばかりでしょう。
五重塔の落慶はまだ半年先のことですが、堂々とそびえ立つ立派な塔です。
山間の風景に馴染み、本当にここが日蓮宗の聖地であることが実感できます。
母が亡くなり、千恵子さんも私の母を追うように、急逝したことを改めて思い出しました。
千恵子さんが亡くなったのは彼女が四十代後半のことでした。
仕事帰りにお茶の水のホームで突然倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
倒れた場所が場所ですから、行政解剖に回されたと聞きました。
あまりにも若すぎる最期でした。
お守りを買いました。
病いと闘っている親友に、一刻も早く届けなければいけないのです。
親友には、どうしても頑張って長生きしてもらわないと困ります。
急いで帰路につきます。
どうか、日蓮上人様のご加護がありますように。

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