日本人はコメ!
東京郊外を走っていると、ところどころに稲穂の波を見る。
心なごむ東京の農村風景である。
今年も間もなく新米の季節。
炊き立てのご飯に、さて、おかずは何にしよう。
納豆も良い、めんたいこも良い、漬け物も良い。
でもやはり新米はまず塩むすびでお米に敬意を払おうか。
などと考えると楽しい。
市道横の稲田の前に、ポツンと清涼飲料水の自販機があった。
車を停めて缶コーヒーを買った。
すると、目の前の稲田の横で作業をしていた老婆が突然立ち上がり、
「ありがとうございます」
深々とお辞儀をされた。
一瞬、何のことか判らずに戸惑ったが、その自販機の所有者なのだろう。
「あ、どうも…」
マヌケな挨拶を返した。
でも何だかちょっと心が温かくなった。
(よし、この市道を通る時は、必ずこの自販機で何か買おう)
何気ない些細な出来事で、一日を優しく過ごさせてもらった。
幼い頃、母から稲の大切さを繰り返し聞かされた。
米はもちろん、脱穀した後の稲藁のさまざまな使い道にも感動した記憶がある。
縄をなう、屋根を葺く、納豆を包む、米俵にする、畑の保温にする、家畜の飼料に混ぜたり寝床にする、堆肥にする、郷土の玩具を作る等々。
稲藁は暮らしの中の万能選手だ。
特にスゴイのは、稲藁には納豆菌が潜伏しているということ。
ナットウキナーゼとかいう菌らしい。
稲が無ければ納豆はこの世に存在しなかったのだろうか。
納豆を手作りしたことがある。
しばらく無精しているので、久し振りに作ってみようか。
(蒸した大豆に市販の納豆を数粒まぜ、40℃を保って放置いておくだけ。稲藁なんか使いません。超カンタンなのです)
以前、稲作は弥生時代からという定説があって、それが国内の縄文遺跡の発掘を重ねるうちに水田跡が見つかり、「稲作は縄文期にも行われていた!」とセンセーショナルに報道されたことを思い出す。
土器による分類にこだわり過ぎた結果の本末転倒である。
だからセンセーショナルに扱われる。
狩猟から農耕にシフトした列島の先住民は、大陸から波状的にやって来た人たちと交わり、それが弥生から古墳時代まで続いた。
歴史の分類とは、後世の人たちの目にした考古的解釈だ。
時代を縄文、弥生に分けるのはいいが、それは我々の都合による概念であり、さほど重要な意味を持つ分類法ではないだろう。
有史以来、歴史は常に連続している。
藁といえば「藁しべ長者」も思い出す。
うまいことやったなあ、と羨んでみても現実はそんなに甘くないし、あくまでそれは架空の話なのですね。
本来の「藁しべ長者」はどんな昔話だったかと考えるのだが、たぶん次のような内容で、確か本当は「藁しび長者」というタイトルだった。
昔、ある村に貧しい若者がいた。
隣はお金持ちの家で一人娘がおり、若者はその娘と結婚したかった。
ある日、意を決して、
「娘さんを下さい」
と父親にお願いに行った。
すると父親は、
「ならばこれを元に長者になることが出来たら娘を嫁がせよう」
父親は一本の藁を若者に手渡した。
若者はその藁一本を持って外に出た。
折悪しく風の強い日で、しばらく歩くと一軒の家の庭先で、風で倒れそうな植木を押さえたまま困っている老人に行き会った。
若者は持っている藁でその植木が倒れないように縛ってあげた。
たいそう喜んだ老人は、お礼に大きな芭蕉の葉を一枚くれた。
若者はその葉を持ってまた歩き始めた。
すると風だけではなく、今度は雨が降り出して来た。
そこへちょうど味噌を買って帰る人と出会った。
その人は味噌の入れ物にフタがないので、せっかくの味噌が雨に濡れている。
見かねた若者は芭蕉の葉を渡してフタ代わりにしてあげた。
そしてお礼にひとかたまりの味噌を貰った。
若者はまた歩き始めたが、やがて日が暮れて、盲目の老婆の家にひと晩の宿りを乞うた。
老婆の家も貧しく、米はあってもおかずになるものがない。
そこで若者は味噌を差し出した。
老婆は喜んだが、その味噌があまりに塩辛かったので、びっくりして飛び上った。
飛び上った拍子に、どうした弾みか、盲目の老婆の目が見えるようになった。
翌朝、老婆はお礼だと言って、亡くなった老人の形見として大切にしまっておいた剃刀を若者に渡した。
若者はその家を辞してまた歩き始める。
やがて一人の浪人と出会った。
その浪人は髭も月代も伸び放題で、見るからにみすぼらしい。
気の毒に思った若者が、持っていた剃刀で髭と月代を剃ってあげると、浪人は立派な侍姿に戻った。
大層喜んだ侍は、若者に脇差を贈った。
若者はその脇差を腰にさして歩いた。
すると途中である大名行列に出会った。
平伏して行列を送っていると、供の者が寄って来て、
「その腰の脇差は、なかなか見事な逸品のようにお見受けいたします。殿の仰せにより、お代はいくらでもお支払しますので、ぜひお譲り頂けないでしょうか」
若者に断る理由などない。
そして若者は大金持ちになって村に戻り、約束通りに娘と夫婦になって幸せに暮らした。
こんなあらすじだったと記憶している。
(誰でも知ってるんだろうけど…)
素直ではあるが、努力をせずに流れのまま金持ちになってしまった若者や、娘の幸せを願う親心とはいえ、長者になることを結婚の条件とした隣家の父親に共感を覚えることはないし、この出世譚の昔話から、教訓、人生訓などを求めるのはあまり意味のないことだろう。
最後の部分は落語の「火焔太鼓」のモチーフか。
でも、うまくやったなあ、とか、そんなことあるわけないじゃん! などと言っていると単なるヒガミと思われて、ちっちぇえ奴! とバカにされるんだろうな、きっと。
この時期に「米」関連の話題というと「事故米」や「MA米」になるのだろうけど、こうして昔話を書いている方が精神衛生上は大変よろしい。
とにかくお米を食べよう。
おかずはスジコや海苔の佃煮もいいなあ。

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